昔ある人から教えてもらったこと。
「1を与えられても何も返さない人。1を与えられたら1を返す人。1を与えられたら2以上を返す人がいる」
テイカー、マッチャー、ギバー、の話を思い出しました。
これに限らず言えることですが、自己診断は、潜在意識と顕在意識がある程度以上にそろってないと、正確な診断結果を出せません。うふふ。
クライアントさんで、どうみてもギバーなのに、自分はテイカーかマッチャーだという方がいらっしゃいました。逆バージョンもいらっしゃいました。どっちがいいとか悪いとかの話ではありません。
「自分は1を与えられても何も返さない人かもしれない」という人のなかに、考えすぎてなにもできなくなっているだけで本当は愛で溢れている人がいることを忘れてはなりません。
それはさておき。
「与える」とか「与え合う」とかについて、書いておく必要があるので、記事にします。
与える、というのには、アンパンマンタイプとお花タイプがあります。
テイカーギバーマッチャー論でいうと、ギバーには自己犠牲型と他者思考型ということで、りんご論でいうと、
- 自己犠牲型=アンパンマンタイプ
- 他者思考型=お花タイプ
となります。
アンパンマンタイプは、自分の顔をちぎって、お腹が減っている人に渡します。自分の顔がどんどんすり減っていきます。ジャムおじさんはいません。
お花タイプは、ただめいいっぱい咲いているだけですが、それがなぜか結果的に人にも喜びや癒しを与えるます。
なんだか、お花タイプのほうが、楽ちんそうだし、幸せそうです。
アンパンマンタイプは、本人が望めばいつでもお花タイプになることができます。
ここから、アンパンマンタイプからお花タイプ(楽ちんモード)への切り替え方法について、鏡的視点からお話を進めていきます。
アンパンマンタイプは、もともと慈悲深い、親切心がある人なので、そこから「かわいそうに」と「〜してあげる」を引くイメージです。引き算の話です。
「〜してあげる」には助けてあげる、救ってあげる、癒してあげる、教えてあげる、世話してあげる、などなど、いろいろあります。
「かわいそうに」というのは「目下のものに向ける同情、憐れみ」ということです。鏡でみるなら「自分が自分をかわいそうだとみている」ということになり、自己憐憫というところに辿り着きます。
自己憐憫を調べると、自分をあわれみ、かわいそうだと思い込んでいる状態、被害者意識が強く、他人の同情を期待する傾向がある、などの話が出てきます。
これは、すべて、幻想の話であって、この幻想=自分(エゴ)、としていたという概念を思い出します。わからなくて上等、理解できなくて上出来、です。
この「かわいそう」というのを、引いていくと、あら不思議、「〜してあげる」という発想思考回路が、だんだんと、なくなります。
引いていく、というのは、鏡などをしながら、エゴがエゴだと気づく、ということです。
「〜してあげる」のは、苦しみを増幅させるだけであったことが、はっきりくっきりとわかります。
自分の顔をちぎって、ちょうどお腹減ってる甘党さんにたまたま当たって喜ばれることもあると思いますが、自動醸造症候群で炭水化物の摂取を制限しなければならない人もいる可能性があるのです。
とはいえ、60%くらいの人は喜ぶかもしれませんし、なかには利用してくる人も現れるかもしれません。それでもやさしいあなたは、顔をちぎって配り続けて、あるとき顔がなくなります。
するとどうなるか?
苦しむのは我が子だったり、配偶者だったり、両親だったり、家族だったり、友達だったりします。家族は嫌い友達もいないと思い込んでいても、相手は違うかもしれません。そんなふうに見えなくてもあなたを心から大切に思っているということは、想像以上にたくさんあるのです。
このズレのようなものが「なんでこんなにがんばってるのに、恋愛だけうまくいかないの」などにつながります。
「かわいそう」や「〜してあげる」あとは「なんとかしてあげなきゃ」など。
心理学では、共依存の人間関係の特徴のひとつである世話焼き依存(世話焼き嗜癖)ということになります。
依存、嗜癖、という言葉が出てきたら、セットで「否認の病」を思い出します。否認の病なので、認めるまでが大変で、認めることまでの道のりが長く苦しいものです。

もう一度言いますが、「かわいそう」や「〜してあげる」や「なんとかしてあげなきゃ」などの傾向が強い方は、いつでも「お花タイプ」という楽ちん運転に切り替え可能です。
お花タイプは、わたしも幸せ、みんなも幸せ、です。
アンパンマンじゃなくてお花さんがいい!という方で、でもうまく鏡ができない、自分のことがよくわからないという場合。
小手先のテクニックとしておすすめなのは、
- 〜させていただくと心から思えることだけをする
- 相手のこと、まわりの人への「尊敬」、と思ってみる
です。
実は、「させていただく」ってただの満たされる喜びですが、「〜あげる、あげなきゃ」って苦しみどろどろ昼ドラ系になるものです。
あと、与え合うについて。
ここで述べている「与え合う」という状態は、お花Aもお花Aも、ただ安心して寛いて尊敬し合って自由というだけです。
さまざまなものやことに流れる、目に見えない「愛」のエネルギーを、たくさん感じているだけ、です。
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たまに心理学時代の知識を持ってきますが、わたしは心理学を深めようとして発狂し(巫病)、今ここでこうしています。
心理学もやはりその命を受けている人だけが歩める道で、スピリチュアリティ系?に導かれる命を持つ者のなかには、心理学の学びを深めるうちに苦しくなる、狂いそうになる、という方、一定数いらっしゃるようです。
わたしは、ずっと、心理学者さんか精神科医さんに、なりたかった笑