「過去と未来と今、どれでも見れるけど、どれを見る?」
という”分かれ道”があった。
「マジシャンになる?神の道をいく?」
という”分かれ道”もあった。
「この出来事を、神通力だといって紹介する?」
という”分かれ道”もあった。
「例外をいく?たったひとつをいく?」
という”分かれ道”もあった。
「秘密の教えの道をいく?それとも分かち合う道をいく?」
という”分かれ道”もあった。
「ジャッジメントの道をいく?それとも平和だけを見続ける道をいく?」
という”分かれ道”もあった(これは去年の洗脳・マインドコントロール事件に反応してた時期の話です笑)
「自分で自分の楽園を作る道をいく?それともすべて委ねる?」
という”分かれ道”もあった。
たくさんの分かれ道があって、わからないことだらけで、何度も何度もどうしていいかわからないことが重なったその先に、祈りが日常となる日々があるのかもしれない。
自分の声も、本心も、神様も、わけわからなくなって、頭どうかしそうになったおかげで、神を求める人生になるのかもしれない。
神を求める人生は、神にとって「神の意」なので、必ず、体験する。
ここを、いつも心の奥に持っておくと、その時点の自分に合わせた形で、優しく、「具体的な、それとわかる、奇跡」という経験を、必ず、受け取ることになります。