【ゆだねる】
ゆだねるって。
いろんなところで言われていて、でも、「その委ねるのが難しいんです!こわいんです!」という、お声はよくいただきます。
心のなか(エゴの声)を、よーく、みてみると、「ゆだねる」こと自体は、難しくもなく、こわいことでもない、ということが、腑に落ちます。
今まで、苦しい・悩んでいた頃の、わたしたちは、「エゴにゆだねていた」だけであったので、
ゆだねること自体は難しくもなんともない。
でも、エゴにゆだねることと、神(大いなる存在、宇宙、法則、流れ、高次の力・・・)にゆだねることは、難しく、感じてしまう・・・。
「自分の力(エゴの計画通り)でなんとかやりたいので、神様(創造性)は信じられません」みたいな。
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エゴをみること、それを、何度も何度も、みることが、なぜ重要か、というと、
何度も何度も「ノージャッジでただ確認すること」で、その構造・パターンを受け入れることができて、無意識的に左右されてしまう、ということがなくなるから、ということ・・・、みたいな感覚です。※鏡でみる(投影)、というのもそうです。
ゆだねること自体は、実は、わたしたちは、できていて、
ゆだねる先、の話だった、というお話です。
【ゆるす】
ゆるす、ということについてですが。
ゆるす、というのは、本当はとても苦しいけど黙って相手を受け入れるとか、我慢して飲み込むとか、そういうようなことではありません。
「自分もそういうところあるんだから、文句言えないですよね!?」的なニュアンスでもありません。
ここから、わたしの感覚・言葉になりますが。
ゆるすって。
縛っていた紐がほどける、イメージ。
自分の「心の奥の平穏・喜び」とのつながり、のところで、縛っていた紐が、ほどける、感じ。
(だから、心の奥の平穏・喜び・愛と、繋がる感じ)
自分と自分の信頼関係があるからこそ、自分と外側との信頼関係を感じられる。これが、鏡でもあるし、内側とのつながりでもある。
なので、自愛も、内観も、鏡も。
ゆるゆる、すべて受け入れられているような安心感、解放感、優しい感じ(甘えや自己憐憫とは違います)に、向かっていくものです。