「悪口を言ってはいけません」ではないです

「悪口を言ってはいけません」という話でもないし、

「悪口を言ってもいいです」という話でもないです。

「悪口言うような人は、あなたの悪口も言ってるものよ」ということでもありません。これはなんというか、巧妙なコントロールを感じてしまうのは、わたしだけでしょうか。

 

 

 

「悪口言いたくなるときもあるよね」というのは、まぁそうかもしれませんが、これは、「どちらに餌を与えているか?」ということでもあるでしょう。

心理的な話でもあり、エネルギー的な話でもありますが「同調しない、させない」には、意識的にありたいところです。

 

 

 

じゃあ「悪口言いたいとき、不平不満・欲求不満(もっと〇〇してよ、〇〇すべき等)があるとき」はなんなのか。

どのように捉えればいいのか。

どのようにして内側と向き合えばいいのか。

というと。

内側に原因、というところでいうと・・・

自分が自分の悪口を言っているとき、となるのですが・・・

 

 

 

【ひさしぶりの書き出してみましょうワークです】

悪口・愚痴・不満を書き出してみます。

思い切り、思う存分、気持ちよく、書くのがコツです。

一言でもOKですし、長文でもOKです。

主語を入れることを意識して書くようにします。

そして、そのあと、その主語を、全部「わたし」に変えて、読んでみます・・・。

 

 

 

自分が自分に、

いかに、自分が自分に、ひどいことを、脳内で言っているか・思っているか、

いかに、自分が自分に、厳しいことを、脳内で言ってるか・思ってるか、

いかに、自分が自分に、攻撃的なエネルギーを向けているか、

ということになるのです。

これを、脳内で、聞いているのは、「自分」です。

 

 

 

このようなときでも、「その状況を引き寄せた、創り出したのは、わたし」なのです。

その「映画」を作り出したのは、わたし。

監督、脚本、プロデューサー、すべて、わたし。

「このように、見てみよう、見てみたい」と自発的に思うことさえ、まず、並大抵のことではないです。場合によっては、なおさらでしょう。

だから、そんなふうに考える必要などない、という理論・セラピーも、たくさんあるはずです。

しかし「この映画を作り出したのは、わたし」とみる、というのが、鏡の実践でもあります。

 

 

 

もう一度言います。

自分が自分に、

いかに、ひどいことを、脳内で言っているか、思っているか、

いかに、厳しいことを、脳内で言ってるか、思ってるか、

ということです。

そのようにして、自分が自分を厳しく責めているから、自分に厳しく責めてくる人を引き寄せている、ということです。

 

 

 

だから、とにかく、ややこしいことはさておき、

自分が自分に、の話なのです。

 

 

 

たとえばですが、誰かの愚痴を、誰かに聞いてもらうとしましょう。

たとえばですが「ご主人の愚痴を、友達に聞いてもらう」ということが、あったとしましょう。

そこで、お友達が「まぁ!なんてひどい人なの!」と言った場合。

そのお友達を「愚痴を聞いてもらう相手」として選んだのも自分ですし、そのお友達に「まぁ!なんてひどい人なの!」という台本を読ませたのも自分、ということになります。

もっというと、ご主人に「ひどいセリフ」を読ませたのも、自分。

自分の投影。

自己否定という幻影を投影した(その映画を作って上映した)

ということです。

この自己否定映画を作って上映して、自分を苦しめた自分(エゴ)をゆるす、この「自己否定ベースの映画」を丸ごと手放す(書き換えるなどではなく丸ごと手放す)、ということです。

※「投影した」まで気づいたところで、ただ、ご主人に感謝が溢れ出てくる、みたいになる場合もあるといえばあります。この辺りはいろいろです。

自我が作った映画を、まるごと、手放す。

そのフィルムを、まるごと手放して、監督席から潔く退く。

すると、その席に、神が座ります、あるいは、ミラクル不思議パワーが座ります。

なので、上映される映画が、「これが奇跡ですね」という感じになる、ということです。

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