「”思考や思い込みが現実をつくってる”と思うと怖くなります」
「今こんな状況なのは、わたしが悪いから(悪い思考を持っているから)でしょうか」
「自分の内側に問題があるから、改善しなければならない気がしてならない」
というお話を聞くことがあります。
「何か自分は間違っていて、誤りを犯していて、悪いことを考えていて、だからこんなことになっているのか。
いつか恐ろしいことを引き寄せるのではないか。
急いでなんとかしなくっちゃ。
このままだと、どんどん・・・」
というようなとき、ですね。
確かに「なにかを間違えている」と言えるかもしれません。
なにか誤ったことを信じ込んでいる・思い込んでいる、かも、しれません。
すでに終わった過去のことを、いつまでも、終わらせないでいて、不要な信念を持って、恐れなくていいものを恐れているかも、しれません。
そのようなときは「マイナスをマイナスできるとき」みたいな感じでもあるので、よかった、ということなのです。
分離による信念・思考に気づいたら、手放す、だけ。
リュックの中に、石ころをたくさん詰め込んでいて、「おや、なんだか、おかしいぞ」と気付いたタイミング、とも言えるかもしれません。
なので、
「”思考や思い込みが現実をつくってる”と思うと怖くなります」
というのは、バックパッカーの人が、
「リュックの中に石ころが入っていることが、リュックが重い(=だから歩いていて余計疲れる)という現象を作ってると思うと怖くなります」
と、深刻な顔をして言っているようなものです。
「今こんな状況なのは、わたしが悪いから(悪い思考を持っているから)でしょうか」
というのは、バックパッカーの人が、
「リュックが重い(=だから歩いていて余計疲れる)のは、わたしが悪いから(悪い石ころを持っているから)でしょうか」
と、言っているようなものです。
石ころに、いいも悪いも、ありません。
しかし、リュックから、石ころは、出した方が、「快適な旅」になるかもしれません。
そのような、時期にきているから「思い込みや信念を投影している」という話に出会ったのかもしれません。
行きたいときに、行きたい場所に、自由に行って、いく先々で、いろんな人や景色と出会える。
たまに、
石ころをリュックに入れがちな人
がいます。もちろん、最初のうちは、無自覚なことがほとんどかもしれません。
なんというか、リュックが大きくて、丈夫で、荷物を入れたり出したりするところが厳重な感じじゃなくて、
しかも、そのリュックを背負ってる人は、いろんな人に話しかけられたり、話しかけたりと、出会う人も多い星の元に生まれてきてたりもして。
リュックが重そうで困っている他の旅人を見て「わたしの方が、リュック大きいし、こっちに入れる?」と、声をかけてあげることもある。
反対に「ちょっと、半分、もらってくれないかな」と、頼まれることもあって、それを「わたしのリュックなら大丈夫」と、すぐに引き受けがちなところもある。
「お前のことが、気に入ったよ。この土地の記念に持って帰りな」と言って、石ころをリュックに入れられることもある。
そして、この「石ころ引き寄せ体質」は、生まれ育った実家に鍵があることが、ほとんどです。
リュックが重い・・・というときは、まず、石ころを、どんどん、出していく作業をします。
ここで「手放せない」という執着が強く働く場合は「生まれ育った実家に鍵」があることが、ほとんどです。
石を手放しても、本当に大事なものは、心の奥に、ちゃんと、残ってます。
あの人が、ほんとうに与えてくれたものは、目には見えないけれども、ずっと消えません。
あの土地でもらった、大切な思い出の石を、「もっと自由な、軽やかな旅」のために、リュックから出したとき、あの人もどこかで、もっと自由になっている。
たくさんの石は、地球に抱かれながら、わたしたちは、その地球を踏みしめながら、みたい景色を見に行きます。
空っぽになったリュックを背負って、歩いていると、また、いろんな人と出会うのだけど、今度は、重いものが入っていないから、ほんとうのわたしの感覚の、わたしの意図を、真っ直ぐに、のせて、それを風がすぐに、現実として、見せてくれます。
わたしたちの内側には、愛しかないですよ。それはそういうものです。
そして、石ころを出すために、石ころを自覚する必要があるし、行きたい場所に軽々と飛んで行くために、石ころを手放す時期、というのもあります。
「この大きな石は、あのとき、あの人が・・・」というとき。
その人は、わたしのことが、大好きすぎて、とても期待していて、自分と同じ失敗してほしくなくて、悲しませたくなくて、そうした、ということを、わたしたちは、どこかで気づいていて、でもそれに気づかないふりをしてる、ということを、自分で自分のことを、見てみぬふりを、してきたのは、なぜでしょう。