「わたしは、驚きと喜びのある奇跡を受け取ることに対して、心を開き歓迎します」
「なんでまだ叶わないのかしら」と思えてならなかったとしても、
わたしにとっての(そしてみんなにとっても)最高最善の幸せはすでに用意されています。
なので、そのことに感謝して、楽しみに待つ、安心していられる感じ、であればOKです。
そうではない場合は、それを信じることを自分に許可できない、あるいは、その準備ができていない、ということなので・・・
「わたしにとっての(そしてみんなにとっても)最高最善の幸せ」はすでに用意されていることを、自分に許可してあげる」こと。
そして、
「ミラクルを受け取る準備をする(自分を愛する)」こと。
想定を遥かに超えた幸せ(もちろん、願い通りに、という場合もあります)が、具現化したとき、自分とみんなで喜びを受け取る準備をする、みたいな感じです。それは、心の準備(選択・決意・許可・・・)とも言えるし、場合によっては、心の選択をした上で心の声に従って行動することもあるでしょう。
・・・大切です。
その上で。
「それをしているけど」という場合は・・・
(チェックリスト)
- がんばる、無理をする、不足から外に求める、自分に嫌なことをさせる
- 外側基準(特に生まれ育った家族)、依存関係、共依存、特別視など
- 自分や外側に対してのジャッジメント
- コントロール(無意識的に相手をコントロールしたり、無意識的にコントロールを望んだり)
- 自力でなんとかしようとしたり
- バウンダリー
- 執着
この辺りがあると、(一度すごい体験をしても)苦しいパターンを繰り返したり、「またズレてきた」となったり、浄化してもしても無限に重い感じがしたり、ずっと学んできて、ずっと頑張ってきてるのに叶わなかったり、します。
なので、一度丁寧に取り組むことも大切です。
上記のチェックリストに当てはまるかも、という場合は、「その”雲”を払いのける」感じです。
「吐く息で、ふわふわふわ〜っと、消えていって、青空が広がる」みたいなイメージが、わたしはあります。
深刻視しなくて大丈夫なのですが、「古い習慣が出てくる・出てきやすい」ということは、あると思うので、継続は必要です。
そして、この空が、創造性、みたいなイメージです。※雲は、過去から持ち続けてるもの・本来の自分の感覚ではないもの、みたいな感じです。
ちなみに、わたしは、ずっと練習、という感じですが、これは、これで、素晴らしいものです。
ジプシーさんは、自由でフシギ体験たくさんの旅人へ・・・というイメージでしょうか。
雲を大切に持ったままだと、時間がかかるというか、現実化の速度が落ちたり、苦しくなったりします。でも、空はずっとある。雲で覆い尽くされて「ない」と言いたくなっても、あるもんはあります。
生まれ育った家庭・幼少期そばにいてくれた人で、
- がんばる、無理をする、不足から外に求める、自分に嫌なことをさせる
- 外側基準(特に生まれ育った家族)、依存関係、共依存、特別視など
- 自分や外側に対してのジャッジメント
- コントロール(無意識的にコントロールしたり、無意識的にコントロールを望んだり)
- バウンダリーオーバー
- 執着
こんな感じの方がいたかも、という場合は、「自分の感覚」ではなくて、「家族の感覚・家系の思考パターン」を使っている場合があります。そして、この場合は、「日々継続(意識的選択)」がほんとうに大事。
「家族の感覚・幼少期よくそばにいてくれた人の思考パターン」を使っている場合などは。
大好きだから(大嫌い、憎悪、こわい、という場合もありますが、引用表裏一体で同じことです)、
そのまま真似してる、模範にして丸ごと取り入れてる、完コピしてる、みたいなところがあります。
大好きでも大嫌いでも、自分のもの(思考)ではないものを、自分のものだと思い込んでいたり、
過去の「傷つけられたと思い込んでいる関係」が終わってなかったりすると、「なぜかうまくいかない」「苦しい」となりやすいです。
自分のものではないもの(=思考パターン)は、持ち主に、愛と感謝で、お返ししましょう。
たとえば、たとえばですが、母との関係から「コントロール的コミュニケーション」を完コピしていたとしても、それを、愛と感謝で本人にお返ししていくと、
「コントロール的コミュニケーションの輪っか」から「愛と感謝の輪っか」へと、変化していきます。(他界されてる場合も同じです)
いつの間にか、いろんな人や、出来事が、愛と感謝のエネルギーの輪っかになってきて、いろいろと、不思議な、驚きな、喜びの体験が、自然と広がっていきます。
※生まれの家族との関係は、物理的や心理的距離が近すぎると、なかなか「愛と感謝のエネルギー」なんて言ってられない、という場合もあります。
その場合は一度、自分との調和・内なる神との調和のために、適度な距離を置いてみる、というのは、心が求めるなら、アリだと思います。