大丈夫、大丈夫、と言い聞かせたいようなとき

今日は「書いてもらいます」です。

 

「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせたいようなとき。

あるいは「大丈夫だよ」って誰かに言ってほしいとき。(無意識だったりすることもある)

そんな経験が、あるとき。

 

 

そのころは、我慢していることも、頑張ってることも、無理をしていることも、まったく、自覚がありませんでした。

平気なふりをして、心配をかけないようにすることが、いいことだと、思い込んでいました。

確かに、ずっと自己否定はしていて、これは、努力すれば、自分でなんとかすれば、自分を肯定できるようになるはずだと、思い込んできました。

そんなわたしを、みんなが応援してくれて、「苦しんで、自分を責めて、我慢して、頑張ること」が「善きこと」だと、思い込んできました。

「幸せ」や「安らぎ」は、心も身体も疲れて過ぎていると、刺激が強くないと、打ち消せないのではないかと、いつものように、自分ひとりで考えて、結論を出していました。

 

 

そんなとき、一番、欲していた言葉は「大丈夫」でした。

「絶対大丈夫」「大丈夫だよ」と、自分で自分に言うだけでも、少し、ほっとしました。

けれども「絶対大丈夫」「大丈夫だよ」と言い続けても、心が疲れているのは、どうしてだろう?

 

 

あるとき、「絶対大丈夫」「大丈夫だよ」と言い続けても、心が疲れているのは、どうしてだろう?と、聞いてみたら「それは、自分を無視しているから」と、言われたことがありました。

「なにを無視しているの?」と聞いたら「大丈夫を求めているんでしょう。そうだとしたら、その裏にあるものを、みている?」と聞かれました。

 

 

その裏にあるものとは、なんだろう。

大丈夫。ほっとする。安心する。

その裏は、不安・・・おそれ・・・。

 

 

「不安でもないし、こわいという気持ちもありません。どういうことですか?」と聞きました。

すると、それは「不安もこわいもありません、ということが、無視しているということだよ。不安やおそれがあるけれども、それを隠して無視してきたから、大丈夫という言葉がほしいんだよ」と言います。

意味がわからなかったけれども、なぜか、そこに答えがあるような気がして「じゃあ、どうすればいいの?」と聞くと、

「ただ、ああ、わたしは不安なんだ。おそれているんだ。と思うだけだよ。これが認めて、受け入れるということだよ。ただそれだけだよ」と答えてくれました。

 

 

意味のわからない答えに、うまく頭が働かなくなりました。

「えーっと。わたしは、不安。おそれている、だったっけ」と、さっき言われたことを、思い出していました。

わたしは、不安で、おそれているんだ。それを、認めればいいんだ。それだけで、いいんだ。

 

 

そして、それから少ししてから、自分が不安で、とてもおそれていたことが、とてもよくわかるようになりました。

外側の様々なものを知覚した瞬間に、レッテルを貼り、決めつけをして、不安になったり、喜んだり、しているようでした。

 

 

あるときは、「今のままじゃダメだ」という声が、響きます。

「今のままじゃダメだ、だから、なんとかしなくっちゃ」という声が、大きく響いて、わたしを今ではないどこかに連れて行こうと、しているようです。

今、今を否定して、今ではないどこかへ行こうとすること。

その方法を外に探しに行って、作戦を立てようとすること。

このようなプランはこれまでに馴染み深いもので、その果てが「大丈夫だと、言ってほしい」でした。

 

 

まるで、今のままでいいことを、おそれていたようで、なぜか遠ざけていたようなのです。

「今のままでいい」ということに、たくさんの条件、山あり谷あり茨の道を設定して、そうしてからやっと「今のままでいい」ということになるんだ、と盲信してきたようなのです。

たしかに、今のままでよかったら、「今のままじゃダメだ」というこのおそろしい声は出番がなくなります、存在自体が危うくなります、これは恐ろしい声にとって恐ろしいことです。

おそろしい存在が、隠しているおそれを見破ることが、秘訣でした。

ご予約受付中のセッション・クラス

4月のセッション受付状況

※(3月5日更新)3月のご案内が土日祝満席、平日残りわずかです。

4/6スタート!グループレッスン募集開始

  • URLをコピーしました!
目次