要求・願望が悪いと思い込んでいる場合

旧ブログに願い事リストの記事を書いて、たくさんのご報告をいただいたことを、今でもよく覚えています。

内容は、確か、

自由に、のびのびと、最低でも300個は、願い事書きましょう

とかだったと思います笑

あのとき、一番伝えたかったことは、

「願い事リストは、具体的に、たくさん書き出してみる」

ということです。

 

 

というのも、長く時間がかかってる方・ジプシーかもな方ほど、

たとえばですが、「結婚して、出産して、宝くじ当たりたい」・・・というように、漠然としていたり、1個〜3個くらいだったり、ということが、多かったからです。

なので「願い事、書くなら、最低300個は書かなければならないくらいの勢いで、よろしく」みたいな、記事を書いていました。

 

 

「キャー!300個、書かなければならない!」とちょっと火がついて、書き出してみる。

今日は、20個、書き出せた。これ以上浮かんでこないから、今日はもう、寝よう。

次の日は、5個くらい、書き出せた。

あれ、これ以上、出てこない。でも、300個、書かなければならない。

 

 

わたしは、なにを求めているの?

わたしは、どんなときに、幸せや心地よさを感じているんだろう?

あれ、そういえば「これはイヤ」という気持ちはよくわかるなぁ。

・・・そうやって、自分の心に、耳を澄ませていく。

 

 

あるときは「あれ?これは、承認欲求からの願いだな」とか「これは両親を喜ばせたいという、外側基準の願いだな」とか、

わたしは、やたら、このカテゴリについての願いが多いな、とか、

いろんなことが、みえて、きこえて、感じられてくる。

 

 

そうして、書き出しているうちは、「これが叶ったときの気分」と一緒に過ごしていたりする。

 

 

このブログ読んでくださってる層の方は、たくさん、叶うと思います。

コツは、300個、とまではいかなくても、それくらい、たくさん書き出してみる、です。

 

 

話は変わって。

要求、願望をすること(そんな自分)を、そんなことするのは悪いこと、恥ずかしいことだと、強く禁止したり、否定したり、してらっしゃる方も、いらっしゃると思います。

その場合だと、必ず、投影してると思います。

いい子ちゃんはいい子ちゃんぶらずに思い出してほしいのですが、

たとえば、誰か相手に対して要求しすぎじゃないかと嫌悪感を感じたり、

「自己中心的でわがままな人」の話を聞いては「まぁ、なんてことかしら」とジャッジしたい気持ちが出てきたり。

この場合は、心の中で、要求すること、願うこと、ほしいと思うことを、そんな自分を、悪い恥ずかしいことだと、ジャッジして、禁止して、否定していないかしら?と問いかけてみると、いいかもしれません。

 

 

小さい頃、家庭の中で、ご両親が厳しさや正しさがある方だったり、ご両親が大変そうだったり(喧嘩したり、いつも落ち込んでいたり)という経験があると、

「願っちゃいけない」「求めちゃいけない」

と、なることがあるのです。

もちろん、自分自身の特性としても生まれ持ったものとして「人をよくみる」「感受性の高さ」というのもありますし、内側に原因、というところで考えると、この人生も自分が選んだということになります。(なので、運命や宿命を超えて、天命を生きるとなってくるのですよ)

 

 

外側に求めたり、願ったりすることが、悪いことではないです。

「内側が原因」

「心の力がすべて」

「内なる創造性とつながっていること、つながりつづけていることが、何よりもだいじ」

ということです。

 

 

そして、その目には見えないけれども、大いなる存在との関係の中で、

「願ったら、叶えられる」「求めたら、与えられている」

心、感覚、本音に耳を澄ませる喜び、内なる神に従う素晴らしさ、

という体験を、受け取れるのですから、もう、「母や誰かに投影してる場合じゃない」ですよ 笑

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