最近、依存や魔界についての記事を書きました。
インナーチャイルドについても、書いたことはあると思います。
わたし自身、心理学を学んだことや、心理学のカウンセラーの師からセラピーについて学び、用いていたことも、あります。
けれども。
ここでお伝えしたいこと、共有したいことは心理学ではありません。
わたし自身がベースとしていること、実践しつづけて、学びつづけていること、そして、みなさんにもお伝えしていることは、心理学ではありません。
ここでの「自分自身の心に力があること」「本来の自分自身で生きること、魂のままに生きること(自我から目覚めること)」「鏡、投影、この世界は内側の反映であること」・・・
そして、願望成就や引き寄せの法則など。
こういったことは、心理学ではなく、スピリチュアリティ(霊性)の学び、そして、宇宙法則の学びです。
心理学とスピリチュアリティを、わけて捉えることは、大切だと思います。
わけて捉えることで、無用な混乱を防ぐことができますし、遠回りや迷子にならなくて済むからです。
心理学も、スピリチュアリティも、どちらも「心からの幸せ」において、とても役に立つものだと思いますが、
もっと正確にいうと、その使われ方だったり、その人がそれをどのように受け止めるか?ということだと思っています。
依存や機能不全家庭、インナーチャイルド、毒親などの概念は、「自分が被害を受けた」という感覚を強める場合があります。もちろん、そのようにならないこともあると思います。
例えば、心理学的側面から心の元気を取り戻そうとしていく中で、
(A)「過去の子供の頃の自分は被害を受けた。その加害者は、過去の親である」とか、
(B)「わたしは恋人に苦しめられている、傷ついた存在である。恋人はその加害者である」
という思いが強くなる、ということは、少なくないのではないかと思います。
心理学という側面からでは、解決法として「家族とは縁を切った方がいい」「そのパートナーと別れたほうがいい」と、比較的すぐに結論が出てしまう、という話を、何度もお伺いしたことがありました。
もちろん、暴力を振るわれているとか、あまりにも深刻なケース、緊急事態な場合は、距離を置いた方がいいと、わたしも思いますが、「内側に原因」というところでいうと、
ここもゆるす(相手じゃなくて自分をゆるす、です)ときがくる、ということなのです。
スピリチュアリティでは、インナーチャイルドも、依存も、機能不全家庭も、毒親も、自我の側面です。
そして、自我と戦うのではなく、乗っ取られることをゆるすのでもなく、同一化していたことに気づき、降参していくのです。
被害者加害者の分離を超えていく、ここに「自分」を縛り付けることをやめたいという、意欲は必要です。
鏡でみる、自分の内側の心の奥に全ての力がある、というのは、そういうことだと思います。
(A)「過去の、まだ無力な子供の頃の、自分は被害を受けた。その加害者は、過去の親である」とか、
(B)「昔、わたしは恋人に苦しめられた。傷ついた存在である。あの恋人はその加害者である」
という思いを持ったままでいるということは「外側に力があり、自分は無力な存在である」といっているのと、同じことですし、
(A)や(B)などの「過去の傷」を投影している=現在の様々な問題となって現れている、ということです。
その内側の傷、影(自我の信念)は自分の内側にあったもので、それを投影していた、と気づくことで、解放される
あるいは、その内側の傷、影(自我の信念)は自分の内側にあったもので、それを投影していたので、手放したい、手放します、と祈る
ということでもあります。
依存、機能不全家庭、インナーチャイルドについては、わたしは、専門家ではありませんが、このことを「自分を認めて、愛して、被害者意識や、傷の投影を終わらせるため」の助けとなればいいな、と思って、情報を共有しました。
心も思考も、目に見えなくて、漠然としていて、よくわからなくなっているケースも多いからです。(そういう意味でも、思考や感情の文字化はとてもいいと思います)
ここでは「依存、機能不全家庭、インナーチャイルド」を自我の信念、内側の投影などの角度から見ています。
被害者意識を手放したい、自我の信念を手放したいという気持ちがない場合には、「そのままでいいよ」という感じです。
本人が「手放したくない」といっているものを、わたしや誰かが動かすこと、介入することは、不可能なのです。
けれども、逆に、「自我から目覚めたい」「被害者意識を手放したい」「心がすべてだと思い出して、完璧な幸せな経験、奇跡を受け取りたい」という場合は、「渡せるもの」はたくさんあります。
大切なことって、できるかできないか?とかではなくて、「内側がすべてだと思い出したい、本来の自分自身で生きたい、そのためにほんとうに学びたい、自我は喜んで傍におきます」ということなんだと思います。