「スピリチュアル」という言葉は、この世界を見渡したとき、さまざまな定義で幅広く使われているということを受け入れておくことは、思う以上に重要だと思います。
「ヒーリング」「奇跡」「願いを叶える系」もそうかもしれない。
ひとくくりに「スピリチュアル」といっても流派(?)みたいなものはさまざまですが、さらに「スピリチュアル」と「心理学」と「自己啓発」を混ぜて混乱してしまってる、ということも、非常によくあります。
もちろん「スピリチュアルは良くて、心理学がダメだ」と言いたいわけではないです。
しかし目に見えない世界(心、精神、霊・・・)のことは、ただでさえ目に見えないので、「ふんわり、ざっくり、感覚で、”直感”で、なんとなく」だと、迷子になることは、よくあるようです。
内観、浄化、自己一致できてないと、直感も、サバイバルモード的な働きはしてくれるかもしれませんが、「本来の自分自身としてのインスピレーション、導き、ガイダンス」とはまた別です。
このことを、なぜ、受け入れておくことが重要だと思ったかというと、これを受け入れないまま、情報や学びだけはたくさん経験していて、でも、混乱してしまっているということも、あるからです。
逆をいうと、それも「自分が作ってる」ということで、どんなことでも「自分が作った」と受け入れることは、自分の中にある創造性を認めることになります。
例えば「嫌な現実(おそれの投影)」を作ることということは、かなりの労力を、実は、使ってます、かなり、難しいことを、しているのです。なぜなら「すべては愛に戻る」という法則に逆らっているようなものだからです。だから苦しい。
その「嫌な現実(おそれの投影)」を「自分が作った」と認めるだけで、幸せ・喜びの具現化、神の具現化、つまり、奇跡も、受け入れることになります。願いは叶うもの、という、深い安心感、本来の自分自身とのつながりです。
それで、ここでは、「現実的な目標達成」ではない話をしています。
「現実的な目標達成」を否定しているわけでも、肯定しているわけでもないですが、専門外なのです。
例えばですが「結婚すること」を目標にして、「そのためにはこれをして」という行動を具体的に明確にして、そのタスクというか、行動を実践していく・・・というやり方があった場合、これとは、全く真逆というか、全然異なることをお伝えしています。
「売上いくら」を目標にして、「そのためにはこれをして」という行動を具体的に明確にして、そのタスクというか、行動を実践していく・・・というように、お仕事でこれを取り入れていらっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、ここでは異なります。
否定しているわけでも、肯定しているわけでもなく、わたしが専門外、という以上に、わたしは「ほんとうの幸せ」「内側も外側も幸せ(心からの幸せで現実にも反映されている)」にしか、興味がないからです。
例えばですが、結婚したとしても、心が幸せでないなら、意味がありません。
たくさんのお金があったとしても、心が貧しければ、意味がありません。心が貧しい、というのは、不安や恐怖や心配がいつも付き纏ったり、もっとほしいという渇望を感じていたり、ということです。
そして、実際、「パートナーがいる」「結婚している」「経済的には潤ってる」「世間的に見ると、すごい肩書き」という方でも、おそれでいっぱい、さみしさでいっぱい、というのは、めずらしい話ではないというか、むしろ、よくある話なのです。
「自分が幸せではない、満たされていない」のは、外側のせいではないことを、受け入れることは、基本のき、以前の話です。
メソッドはたくさんあり、「癒し」の手法もさまざまで、特に混乱が強い場合などは、メソッドはとても助けになってくれますが、こういったものは、回復してくる中で、いつか手放すときがくるものです。
けれども「法則」「原理」「本来の自分自身とつながること」というのは、やればやるほど、深まるものです。
途中、投げ出したくなる、ということがあったとしても、ここに答えがあることがわかっているので、また必ず戻ってきたくなるのが、「法則」でもあります。
なぜなら、悪夢から幸せな夢へと導かれながら目覚めていくこと、本来の自分に戻ることだから、です。
今、自分の内側が幸せであって、満たされていて、深い安心感に包まれていて、自分の内側にある完璧な創造性、すべてのソースと繋がっていることが重要です。外側は、体験は、必ずついてくるもの、です。
ルートを指定しないこと、も、重要ですね。
ルートを指定することで「自分が幸せになるための条件」を作っている・・・つまり、今、自分は幸せになれない、奇跡を受け取らない、と信じ込み続けている、決め続けているということは、よくあることです。
条件付けの愛ではなく、無条件の愛だけに、自分の「信じ込む、思い込むほどの力」を注いでいきたいものです。