なぜか、臨時収入的なお話をお聞きすることが、最近重なってて、ふと思ったこと。
想定内じゃなくて、想定外の、出費、もしくは、収入。
想定外の出費って、「自分で計画」を立ててるとき・立てていたときで、
想定外の収入、というか、思いもよらない収入って、「神の計画」に従ってるとき。
かもしれない。
想定外の出費だけじゃなくて「浪費してしまうとき」や「節約してるのに、なぜか貯まらない、なぜなんだろう」みたいなときも、そうかもしれません。
「自分の計画」と「神の計画」について。
「自分の計画」というのは、自分であれこれ、ルート指定してる感じのときです。
自分で計画立ててるかもしれない、という場合は、よーくみてみると、それは、おそれ、不足感、欠乏感などに基づいていると気づけます。
不足感に基づいて行動しても不足感が現れますが、気づけるようになってくると、選択し直せるようになってきます。
「神の計画」と書くと、なんだか、大袈裟なイメージがする方もいらっしゃるかもしれませんが、言い換えると、
最高最善を思えるとき、見つめられるとき、感じられるとき、祈れるとき。
自分の本心を大切にしながら、いつもいつも大事に聞きながら、心の奥に耳を澄ませられているとき。
自分の幸せが、みんなの幸せに、繋がってる感じを、いつも大事に、包み込むように感じられてるとき。
心の奥、自分の軸を感じる余白を、大事にできてるとき。
そして、こんなふうに書くと「自分で計画を立てるのは、悪いこと」みたいに、思う方も、いらっしゃるかもしれませんが、そんなこと、全然ないです。
むしろ、なにもせずとも、光は溢れ出ています。
そのことを受け入れることがおそろしかった、だけ、です。