願望を叶えたいとき。
引き寄せたいとき。
知っておく必要があることは、願望、欲望、欲求というのは、常に罪の意識が根底にある、ということです。
「(1)こんな願望を持つこと(2)罪なことだ」というよりも、罪の意識が、願望や欲(思い通りにしたいというコントロール欲、支配したいされたいという支配欲、承認欲求など)を作ってるという感じです。
これは、もちろん「こんなこと願うなんて、悪いことだ」と罪の意識、罪悪感を感じてる、と、すでに自覚してらっしゃる方もいらっしゃいますが、
「罪悪感は感じてない、罪悪感はない」という人も意外と多いかもです。
「なんかモヤモヤする」というような形で現れている、ということもあります。
なぜ「罪悪感は感じてない、罪悪感はない」と感じているかというと、それほど、そこに力を見ている、恐れているからです。
その「罪」が実在していると強く信じ込んでいるからこそ、見ることが怖くて、隠しちゃってる状態です。
この場合、一番いいのは、よく見ること(書き出すこと)です。
もし、まわりに、信頼して話せる人・場所があれば、聞いてもらうと、一番いいです。
自己啓発などでは「プラスの思いほど発信するといい」と言いますが、
エネルギー的に見ると真逆で、マイナスほど出して、出すことで終わらせていくこと、マイナスとマイナスの掛け算でプラスになる、という認識を持つことです。※SNS等で発信しましょうと言ってるわけではないです
「ずっと気になってたことを、相手に聞いてもらう」ことで、心が解れたり、和解につながったり、誤解が解けたりしたり、安心に繋がったりすることがありますが、それと同じです。
すでに罪悪感を感じている、罪の意識がある、という場合は、
外側に求める、外側の何かを求める、願いをゴールにしている、というところを、
神、内なる神聖さに、ゆだねていきます。
「自分が」ではなく「神」にゆだねていく、捧げていくこと。
神の完璧な采配、奇跡、癒しにフォーカスし続けること。
「いやだ、できない」と言ってる間は、確かに苦しいと思いますが、
ようやく降参して、神にすべてを、本気で求めたとき。
おもしろいことに「叶えたいと思ってた、具体的なことが叶う」ものなんですよね。
もうちょっと、正確にいうと「叶えたいと思ってたことが、本気でどうでもよくなる」ということもありますが、そのとき同時に「本当に望んでいたもの」を受け取るものです。
「引き寄せ」「現実化」で、うまくいかないとしたら、欠けているのは神です。
神々の神じゃなくて、神です。
内なる神の波長に合わせること。無条件の愛、完璧な愛を受け取っていくことです。