これは、わたしが昔、習ったことでもあるのですが。
一番強力な縁切りの方法は、愛と感謝の思いを送ること、そして、受け取ることです。
そして、一番強力な縁結びの方法も、愛と感謝の思いを送ること、そして、受け取ることです。
エゴは「縁切りの方法が、愛と感謝の思いを送ること、そして、受け取ることなんて、受け入れ難い」ので、
様々な「直接的関与とは言えない代替案」を探し求めます。
けれども、本当の、根本的な方法は、無条件の愛なのです。
縁切りと縁結びの方法って、実は、同じ、というところが、法則です。
始まりも終わりもまったく同じ。
縁切りを「自分とは違う、別々の誰かが、もっと遠くに切り離される」というのは、肉眼での認識です。
けれども、肉眼で知覚できるところには、本当に大切なことは隠されてしまっています。
そんなふうに信じて「また別の誰か」を探し求めても、自分の中にある信念を持ったままでは、偽の自己像を信じ込んだままでは、
また「別の誰かや何か」にも同じものを投影してしまうことがあります。
これは「同じ問題を繰り返す」「形を変えた、また別の問題が勃発」というようなことになります。
本当の「縁」「つながり」「関わり合い」は切れない、ということを、受け入れる、認識していく、ということは、
奇跡を受け取れるという信頼にも繋がります。
ちなみに「出会いがない、ほしい」という場合は。
「自分が自分と出会ってない」ということなので、まずは、
「本当の、自分の気持ち」を、正直に、素直に、認めていくことにフォーカスするとよくて。
でも、ここで「本当の自分の気持ち」を、認めてるけど?という場合があると思うのです。
その場合は「こう思わないとダメ」と無意識的な我慢・抑圧・禁止、自分へのジャッジメントが強く働いていたり、
自分ではない誰かの考えを自分の考えだと信じ込んでいたり、
誰かの期待に応えること=自分の気持ちだと勘違いしていたり、
・・・ということがあります。
こういったことに、ただ、気づいていくだけで、大丈夫なのです。
そんな中で「自分の気持ちがわからない」ということがあったとしても、
「わからないと思った」という、感じたままを、判断せずに、問題視せずに、大切に認めていけばいいだけです。
「こう思わないとダメ」と無意識的な我慢・抑圧・禁止、自分へのジャッジメントが強く働いていたり、
自分ではない誰かの考えを自分の考えだと信じ込んでいたり、
誰かの期待に応えること=自分の気持ちだと勘違いしていたり、
・・・この辺りは、気づくだけでも、かなり現実面での変化・サインが受け取れるようになるということも多いです。