実践と理解とタイパ

Amazonも身近になり、YouTube、その他動画音声配信サービスが充実していることも関係があるのか、

「ああ、それ知ってる、という人や、現実創造・法則性について詳しい人が、自分の身近にいる」というお話を聞くことが増えたような気がします。

だから何、という話ではないのですが、

それを聞いてよく思うのは・・・つまり、毎回、わたし自身が思い出させててもらっていることなのですが、

こういった法則性などについては「実践が先で理解はあと」ということです。

 

 

もうちょっと、具体的に、細かくいうと、

(1)最初に頭レベルでの、知的理解レベルでの「知る」がある

例えば「このドラマを作ったのはわたしで、自分の内側に原因があり、誤った選択を取り消すことで結果(現実)は指一本触れずとも自ずと変わる(奇跡)」という情報を、とりあえず、頭で読んで、頭で「へえそうなのか」と思い、それを自分の日常の中でも取り入れてみたいと思う。等。

 

(2)そして(1)で知ったことを、日常で取り入れてみようと自ら思い、取り入れてみる(実践)

 

(3)奇跡を経験する、体験することによって学ぶ、実感する、確信する

 

(4)(2)と(3)の繰り返しによって、理解が深まっていく、みたいな感じです。

 

うまく書けてるかどうかわかりませんが、こんな感じでしょうか。

 

 

それで、(1)の「情報」の部分は、今、かなり多くの人、想像以上・予想以上の人が知ってるのではないかと、ここ数年で実感していました。

だから、一瞥体験、ワンネス体験も、奇跡体験もめずらしくないことになりつつある、同時に巫病や禅病のようなものもよく聞くようになる・・・ように感じているのは、わたしだけでしょうか(笑)

 

 

その一方で、(1)で足止め状態になっている、ということも、多くなっているのではないかと思うのです。

「このドラマを作ったのはわたしで、自分の内側に原因があり、誤った選択を取り消すことで結果(現実)は指一本触れずとも自ずと変わる(奇跡)」

・・・以下、略して「内側が先、外側があと」と書きます。

この知識というか情報を、実践することって、意外と、難しいというか、なんというか、です。

これは、「内側が先、外側があと」を実践していればいるほど、そう感じるものだと思います。

どのように難しいかというと、

すぐ、忘れちゃうのです。

すぐ、例外作りたくなるのです。

すぐ、「理解できない。だってわたしバカだもん」「なんかよくわかんない、できない」と言いたくなるのです。

すぐ、他の方法を探したくなるのです。

そして、すぐ、わかった気になるのです。

これ、すべてエゴの抵抗です。

わたしにも経験があります。

 

 

「内側が先、外側があと」というのを、語るのは簡単です。

理論的に説明するのも、そういうのが得意な人にとっては簡単でしょう。これは、例えば、外国語を習得するのが得意な人と似たような脳の働きかもしれません。わかりませんが。ちなみに、頭脳と心は混同されがちですが、そうではありません。

けれども、真の理解というのは、実践のあとにやってくるもので、

さらに、実践すればするほど、深まるものなのです。

そして、実践して、深まれば深まるほど、何も言わなくても、そばにいる人に伝わっていくもの、気づきや解放を延長させていくようなものだと思います。(内側が原因)

 

 

たとえば、セッションで、ヒーラーの方や、カウンセラーの方、占い師さんなど、心やスピリチュアルなどのお仕事の方からお仕事についてのご相談や、あるいは「それをお仕事にしたいけどどうしたらいいかアドバイスがほしい」というご相談をいただくことがあって、

そのとき、必ず、わたしがお伝えするのが、このお話です。(そして、実践を伴奏させていただく感じです)

 

 

この「実践と理解」については、完全に「学校のお勉強」とは、全く、完全に、異なるものなので、

(エゴのいう)「わたしバカだからわかんない」は通用しないのですよ(笑)

「わたしバカだからわかんない」も通用しませんし、

それとは逆に「勉強は得意だった」という場合も、それとは異なる方法なので、必ずしも、「だから実践もすぐできる」とは限らない、という感じです。

 

 

このことを、受け入れること、思い出し続けることは、タイムパフォーマンスにつながると思います。

タイムパフォーマンスとは、ちょっと違うかな。同じかな。???

最近「タイパ」という言葉を覚えたばかりなので、使ってみたかっただけです。

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