とはいえ「どうしてもゆるせない」「この人が自分を映した鏡だなんてとても思えないし、思いたくもないし」ということは、誰にでもあると思います。(わたしにもあった)
あるいは「我慢できないほどではないし、この人のことは好きなんだけど、この部分だけがどうしても・・・(なぜかうまく内観できない)」ということも、あると思います。(わたしにもあった)
このようなとき、エゴは、
「ゆるせない自分はダメだ」「なんでゆるせないんだ!」と自分を責めてたり、急かし立てたり、
あるいは、なかったことにしたり、例外扱いしたり、するかもしれません。
「鏡」で見ようとすると、自分を責めてしまって、逆に苦しくなってしまう、ということもあるかもしれません。
けれども、こういう「どうしてもゆるせない度が高い人」ほど、奇跡の鍵を握ってる、救世主のような感じだと、つくづく思います。
たとえば、ご相談内容が「恋愛結婚、お金、仕事」というような場合で、一見、この「どうしてもゆるせない人」とは関係ないように見えたとしても、ここに鍵があると認識できるかどうか、というところが、かなり大きなポイントのように感じます。
とはいえ、とはいえ、それでもやっぱり「どうしてもゆるせない」というとき。
そのような場合、どうしたらいいのか?どのような心持ちでいればいいのか?ということについて、3つ、ポイントをあげてみたいと思います。
(1)自分にやさしくする
自分に対して、優しくすること。
特に、感情を押し殺したり、我慢したり、平気なふりをしたり、しないこと。
怒り、恨み、憎しみ、嫉妬・・・
「どうしても、絶対に自分が正しくて、相手が間違っていると言いたい!」という裁きの思い・・・
(このような感情を抱いている自分)を、それでいい、と受け入れること。
その自分を、急かし立てたり、責めたり、裁いたり、しなくていい、する必要はない、ということを何度も思い出すこと。
とにかく、自分に優しくすること、です。
今は、とにかく自分に優しくするということが課題なんだ、と受け入れる感じです。
このとき、その感情から逃げ出したくなるような感覚がすることもあるかもしれませんが、どんな感情も、感じ切っていくことで浄化されていきます。
※このとき注意したいのは、たとえば「相手を責めたい気持ち」を我慢したり、怒りを押し殺したりする必要はありませんが、裁きの思いや怒りなどを正当化したり、開き直ったりもしない、そのように仕向けてくるエゴの誘惑に注意する、ということです。
(2)「相手に攻撃的な思いを持つとき、自分が苦しんでいる」ことを認識する
(1)で「自分の感情を感じたとき、逃げ出したくなる」ような感じがすることもあると思います。
それほどまでに苦しいものです。
このとき、わたしたちのほとんどは、「相手のせいで」「あの人さえいなければ」と思うものです。
「相手のせいで」「あの人さえいなければ」と思うことによって「少し気が紛れる」ような感じがするかもしれませんが、それはエゴによる錯覚で、エゴは、その錯覚により「その感情(そしてその下にある信念、ブロック)」を保持させるように仕向けます。
苦しい感情と向き合うこと、その感情を感じることは、とてもとてもつらいものですが、このときに、「相手に攻撃的な思いを持つとき、自分が苦しんでいる」ということが「わかる」チャンスでもあるのです。
頭での理解、知的な理解、情報として知っている、という「わかる」ではありません。
おそらく「頭だけでわかった状態」だと、また、自分を責める材料にしてしまうことも、あるかもしれません。
「実感することによって理解する、認識する」という意味での「わかる」によって、深い意味で「自分いじめ」が終わっていく方向・「表面的な取り繕い(同じパターンの繰り返し)」ではなくて”奇跡”を受け取る方向にシフトしていきます。
(3)自分の中で目的を何度も確認する
どんなときでも「目的」を、自分の中で確認することは重要です。
「そもそも、わたしはなにを目的にしてるんだっけ?どこを目指してるんだっけ?」というところです。
目的は二択です。
エゴのままに生きるのか?魂のままに生きるのか?
エゴに仕えるのか?大いなる存在(無条件の愛、創造性の象徴)に使えるのか?
投影(自責、他責)か?奇跡か?
不幸か?幸せか?
過去の再演か?インスピレーションか?
自己呪縛のリピート再生か?神の音色に耳を澄ませるのか?
いろいろな言い方はできますが、この二択です。
そして、どちらの目的を選ぶにしても、目的の通りの結果を達成することになります。
なので、いつも、自分の目的はどっちだろうか?ということを確認するということは、ちょっとしたことのようでいて、非常に重要なことです。
ある意味、この二択を行ったり来たりするようなものですが、
自分の中で目的を確認しながらも行ったり来たりするなかで、自然と目的がぶれなくなってくるもの、深刻視せずに簡単に選び直せるようになってくるものです。
以上、「どうしてもゆるせない人がいるとき」に思い出したい3つのポイントでした。