願い、夢、理想、欲するもの。
これが例えば、その裏に、
自己否定、自己嫌悪、不足感、欠乏感、
自分の力で打開しないといけない、今のままじゃダメだ、
という思いが隠れていることがあります。
「今のままじゃ、足りなくて、満足していなくて、全然ダメで、もっとこうすべきで・・・」
そんな思考に追いかけられながら、
こうなったらいいな、〜したいな、と思うことがある。
誰かを見て、あんなふうになりたいな、と憧れることもある。
そうすると、必然的に、
「こうなったらいいな」という思いと、
自己否定、自己嫌悪、不足感、心配、不安、疑い、自責(他責)、迷いが、付きまとうことになる。
大事なのは、その願い、夢、理想が、
こうなったらいいなではなくて、
ただ「そうなんだ」「そうなる」と自分が自分に思えているか、そう思うことをゆるせているか、
というところで、
それを邪魔しているのは・・・
「今のままじゃ、足りなくて、満足していなくて、全然ダメで、もっとこうすべきで・・・」
自己否定、自己嫌悪、不足感、心配、不安、疑い、自責(他責)、迷い・・・
などの思いを、自分が自分に許可してしまっている、信じてしまっている、ということです。
そう思うことによって、自分が苦しんでいる、ということです。
そして、
そう思うことを、選択できるのも、
そう思わないことを、選択できるのも、
自分しかいない、ということです。
「そうなる」と思っていたけど、ならなくて・・・
とご相談くださる方も、少なくないのですが、
この場合は、例外なく、このネガティブな部分というか、エゴの思いの部分を、
無視しているか・自分で反省して改善しようとしているかのどちらか、ということがほとんどです。
もちろん、自分が自分を、無制限に解放させていく中で、
「これは、全然欲しくなかった」と思うことが出てくる場合も、皆無ではありません。
「お腹いっぱいで胸焼け寸前だったけど、つられ喰いしそうになってたかも」みたいなことや、
「ダメな自分がダメじゃないと証明するにはこの方法しかないから、こうなりたいんだ!」ということなど。
けれども、この場合は、本人も本気で求めていないことに気づいている、ということがほとんどです。
そもそも「ダメな自分」というのは存在しないし、不可能なことなので、それを前提に何かをしようとしても、なんというか・・・
「わたしは猿になってしまったから、人間に戻りたい!!」と叫んでいるような感じなのです。
夢、理想、願い、というものが、
こうなったらいいな、ではなくて、
そうなるものである、ということ・・・
自分個人のわがままや妄想ではなくて、
宇宙、全体性が願っていたことであること。
純粋性・純度が上がり、そのことがわかることが大事かもしれません。
愛憎があって執着がある場合なども、丁寧に、その愛憎の部分を、裁くことなく見つめていって、
心の奥にあるほんとうの思いとつながるとき、
その心の反映が世界にも映し出されるもの、そういうもの、という感じです。