恋愛や結婚、パートナーとの関係での問題、悩み、願い、執着などについて。
内省していくと、
・愛されたい、もっと愛されたい=今は十分には愛されていない
・〇〇しないと/もっと〇〇しないと/がんばらないと、愛されない(自分への条件付け)
・私は愛されていない、愛される価値がない、愛されるに値しない、愛に相応しくない
・今のままではだめ、このままではだめ
・足りない、十分ではない、不十分だ
などの欠乏感、不足感など、自己否定、自責の罪悪感の信念があることに気づきます。
この信念を大事に持っているとき、ずっと、自分が自分を責めています。
これはエゴ(分離)の思考プログラムです。
そして、このことに、気づいていない、という場合、
自分のことを責めてくる人や、自分が責めたくなる人・否定したくなる人・問題を抱えている人が目の前に現れて、「困ったな」となります。
自分が自分を責めていることに気づいていない場合、そのような現象を通して、教えてもらえる、という感じです(鏡の法則)
ここで、
ここまで気づいて「自分を責めないようにしなくっちゃ」とか「職場で気が利かない人がいて、その人のことを心の中で責めていたから、私ももっと気を利かせるようにしよう」などと、自分の力(エゴの力)で解決をする、ということをするわけではありません。
これでは「今のままではダメだ」という連鎖の中に入ったままということになります。
じゃあ、なんなのか?というと、
この根底にある欠乏感や不足感の本当の正体というのは、
本来の自分自身の認識不足、認識できてないですよ、ということなのです。
「わたしは、恋愛で問題を持っているから、恋愛心理を学んで、マッチングアプリに登録して、女磨きをして、あれもして、これもして・・・」と、内側を見ないまま外に求め続けたり、自分の力(エゴの力)で解決しようとしても、同じことの繰り返しになるのです。
ここで「でも、そのようにして彼氏ができたこともある」「私はそのようにして、結婚した」という方もいらっしゃるでしょう。
それに、恋愛心理を学んだり、マッチングアプリに登録したり、女磨きをしたり、することを、否定しているわけでもありません。ただ、外側や行動自体には「真の解決」はない、というだけのことです。
(ここから、ちょっと怖い話に聞こえるかもしれませんが、脅したくて書くわけではないです)
けれども、それだと、いつか別れる日がくるか、どうしようもないほどの問題が発生するか、あるいは、お金、仕事、嫁姑関係、親子関係、人間関係、健康・・・どこかで「欠乏感、不足感」が根っこにある「問題」が発生するのです。
根っこは「欠乏感、不足感、自己否定感、罪悪感」だからです。
「お金がない、足りない、もっと欲しい、もっと〇〇をしなきゃダメだ、資格を取らなきゃ認められない・〇〇できない、できない自分はダメだ」なども、欠乏感、不足感の信念、偽の自分を自分だと信じてしまっているということになります。
この根っこを、根こそぎ引っこ抜くプロセスと同時に、
本来の自分自身の認識する、思い出す、ようになるのです。
今まで、エゴの言いなりになって「わたしには愛される価値がない」「わたしは愛されてない」と信じ込んできたところを、
豊かな愛そのものである本当の自分自身、完璧に満たされている自分自身、という本来の姿を思い出します。
これも「〇〇をしたら、本来の自分を思い出す」という、エゴの条件付けの作業のことではなくて、
認識、視座、体験して、感覚していくものです。
そのためには、ありとあらゆる、
決めつけ、価値判断、価値観、普通はこう・みんなそうという「常識的な正しい考え」、観念、分析、頭の考えなどを脇におかなくてはなりません。
これを「脇に置くこと」に対して、エゴは「それは危険なことだ」「怪しい」「大変なことになるぞ」というかもしれません。恐れが出てくるかもしれません。
ここで、迷うかもしれません。判断ができない、となるかもしれません。
このとき、今までの繰り返しを選んでも(恒常性維持機能)、今までの方ではない方を選んでみても、どちらでも、神様は裁かないのです。
本当は、裁かれるに相応しい命など存在しないのです。
だから、わたしは「こわい方を選ぶ」「重い腰を上げるようなことの方を選ぶ」ようにしています。
「こわい方を選んだ先がどうなるのか」ということは、問題ではないのです。
けれども、一つ言えるのは、自分では想像も予想もまったくできないような体験(奇跡)は、内側の反映として受け取る、ということです。
継続しているうちに、本当は奇跡はずっと与えられ続けていて、ずっと愛を与えられ続けてきて、わたしが受け取ってこなかっただけなんだ、ということが体験を通して知るようになりました。
そして、これは、わたしの身に起こることではなくて、セッションやクラス、プライベートでも、たくさんの方もそれを受け取っていく、という、投影じゃない方の、本当の鏡の法則です。