継続のセッションでもクラス(グループレッスン)でも、複数回、定期的に受けていただくのですが、
途中で「抵抗が出てきました」ということを、シェアしてくださる方もいらっしゃいます。
抵抗が出てきたけれども、参加できた、という方もいらっしゃいますし、
抵抗に負けて、お休みしちゃった、という方もいらっしゃいます。
※優劣をつけてジャッジする話をしているわけではないですよ。
まぁ、それほどまでに「抵抗」というのは、すごいものです。
けれども、忘れないようにしたいことは、抵抗が出てくるとき、というのは、心の中の創造性に急接近してるとき、みたいな感じなのです。
もうこれは、そういうもの、最初は違和感がありながらも、そういう見方をしていくことで、本当にそうであることが認識できるようになります。
心が「エゴの沼の真ん中」から、ちょっと、岸辺の方に近づいて、あるいは、沼から顔を出して、
心がエゴではなくて、創造性を選ぼうとしているとき、というか・・・。
「エゴの視座」でこのことを書くと「蜘蛛の糸」みたいな感じです。
地獄のなかで暮らしていたところ、「極楽の蜘蛛の美しい銀色の糸」が、すぅーっと、自分の目の前に降りてきて、それにつかまって、のぼりはじめようとしたところ、エージェントスミスが襲いかかってくる・・・みたいな(笑)
でも、これだと、エージェントスミスのせい、って感じで、自分は無力になってしまう、エゴの思考の罠にかかってしまう。
とにかく、なんともいえない感じがあります、抵抗のときは。
わたしも、何度もありました。
このときに大事なのが、まずはこの感じは抵抗だ、と気づくこと、思い出すこと。
抵抗のとき、もう、エゴは全勢力をあげて、
「比較」「嫉妬」「優劣」「運命のせい、神様のせい」「過去を引っ張り出してきて、だから自分の人生はダメなんだという」「罪悪感」「後悔」「過去を引っ張り出してきて、もう取り返しのつかないことをしたという」「自責・他責」「もう歳だから」「外側から証拠を集めてきて、ほら、だからもう諦めるしかないんだという」云々かんぬん・・・
あるいは、「甘い、甘い、誘惑で」ということも、あります(笑)
・・・とにかく、どんな手を使ってでも、「美女に化けてでも」地獄にとどまっていようよ、と仕掛けてきます。
このとき大事なのは、自分の心が、
エゴではなくて、創造性を選ぼうとしているんだ、
不幸ではなくて、完璧な幸せを選ぼうとしているんだ、
ゾンビ映画ではなくて、奇跡・愛の現実創造を選ぼうとしているんだ、
エージェントスミスではなくて、無条件の愛である神を選ぼうとしているんだ・・・
ということを思い出すこと。
そして、抵抗を感じつつ、えいっと、愛の方を選んでみる。
このときに「筋肉」が鍛えられます。
この抵抗というか、エゴの言い張りというかは、日常でもある、ということに気づいてる方もいらっしゃいます。
(瞑想するときも、最初は、この心バージョンの、筋トレ、脳トレをしていく感じ、とも言えます)
エゴに気づいて、抵抗に気づいて、恐れに気づいて、「カセットテープのリピート再生」に気づいて、えいっっと愛の方を選ぶ。
この度に、心の筋力が鍛えられて、その度に、書き換えられていってるイメージです。
「その証拠」が奇跡の体験。