偽の自分に気づくことで、本当の自分自身に戻ります。
本来、完璧な愛そのものなので、不純物というか、本当じゃないものに気づくだけでOK、というか、これこそが大事なことなのです。
わたしたちは、本来の自分自身と一致しているとき、世界や他者とも一致します。
世界や他者と一致するとはどういうことかというと、
例えば、
・みんな優しくしてくれる、愛してくれる
・大切な人からも愛されている
・ずっとやりたかったこと、夢が、ひょんなことから道が開く、スムーズに進む
・経済的にも不足、不安、焦りを感じることがなく、安心している
・不仲だった家族との和解
などなど。
もうちょっと具体的に奇跡の体験で、こういうことがありました、ということを書くと、
「信じられない」「びっくり」「本当にこういうことってあるんですね」
ということも(そうおっしゃる方も)たくさんあります。
でも「びっくり体験」に限らず、内側の愛の反映として、この世界での体験や人との関係も、優しさ、喜び、幸せに満ちたものになります。
本来の自分自身で”ある”とき、このように、
「すべてうまくいっている」
「奇跡だけが起きている」
「愛だけが与えられ続けている」
「身も心も豊か」
・・・となります。
もし、ここまで読んで「本当かな?」と思う方は、「むしろこっちが本当(らしいぞ)」と心を開きはじめるとき、
「それをわたしは体験を通して、わかりたい」とはっきりと、心から望むとき、
「書き換え」は自然となされています。
同時に、意識的に気づいていく必要があるのは「本当の自分じゃない自分」の思考、信念、発想、解釈、感情などです。
これに、気づくことが大事なんです。
本当の自分じゃないから、本当の自分じゃない思考・思考パターンが出てきたとき、「本当の自分じゃない」と気づくだけでいいのです。
慣れてくると、リアルタイムで気づけるようになります。
直そうとしたり、改善しようとしたり、どうにかしようとしたり、してしまいがちですが、自分のものじゃないので、自分を責めたりジャッジしたりする必要がない、責めても自分が苦しくなるだけ、という感じです。
責めたからと言って、またそれを責める、というダブルジャッジもする必要ありませんが・・・。
それで、今日は、
「この思考が出てきたら、自分の思考じゃない」
を、ひとつ、わかりやすいものを書きたいと思います。
それは、条件付けです。
自分や他者への条件付け、です。
条件付け・・・例えば・・・
〇〇しないと、ダメだ
〇〇しないと、愛されない
〇〇しないと、認められない
〇〇したら、〜〜していい
〇〇できなかったら、〜〜したらダメ
できない自分はダメ、できる自分になったら認めてあげる
できないあなたはダメ、できるあなたになったら認めてあげる
〇〇してくれたら、愛してくれているということ
〇〇してくれないということは、愛してくれていないということ
もうこんな歳だから、愛してくれる人には出会えないだろう(若かったら、まだチャンスがあったかもしれない)
痩せて綺麗になったら、素敵な人と出会えるかも(今のままの自分ではダメだ)
お金がないから(足りないから)、〇〇できない(お金があったら、できる)
お金を引き寄せてから〇〇する、買う
「テストで何点取ったら、ご褒美を買ってあげる」
「宿題をしたら、おやつをあげる」
「ただし、イケメンに限る」
こういったものが「条件付け」ですが、この条件付けの思考パターンは、本当は「わたしの思考じゃない」から、
わたしの思考じゃない思考パターンを使ったままでは、どこかで、何か、
「問題を作る」「どうしても叶えたい願い、執着になる願い(なかなか叶わない、これだけ叶わない願い)」を作る
となるのです。
自分に条件付けしている、ということは、自分に制限や、呪縛をかけているようなものですし、閉じ込めているようなものです。
そして、自分に条件しているから、誰かに対しても条件付けをしてしまうようになる、のです。
しかも、自分にとって、一番大切な人に対して、条件付けしてしまうもの、なのです。これは、こういうもの、です。
だから、例えば「最愛のパートナーと、幸せに暮らす」という願いがある場合は、
まず、自分自身を無条件に愛していくこと・・・
これは「自分を愛そう」とするのではなくて、「マイナスをマイナスする」ということです。
わたしたちが「本当の自分自身」に戻ったとき、
奇跡を受け取る、奇跡が日常になる
すべてうまくいく、自ずとうまくいく、自然と道が開ける、運ばれる
・・・そういうもの、です。
まずは、条件付けの思考に気づいたら「これはわたしの思考じゃない(らしいぞ)」
ということを、思い出していくだけでも、大事なことです。