気づきも、奇跡も、癒しも、インスピレーションも、学びも、メッセージも、ガイダンスも、
本当の見方・知覚も、
認識も、視点も。
「自分で考えたこと」ではなくて、ただ、受け取るもの。
これは、非常に重要なことで、なぜなら、
エゴはよく「自分で考えたこと」をメッセージにしがちで、それはなぜかというと、
それだけ、真のメッセージを恐れているから、真のメッセージを受け取ったら、幸せになっちゃうから、解放されちゃうから、罪悪感から解放されて無罪だということがわかっちゃうから、牢獄が消え自由になることがわかっちゃうから、です。
エゴは、恒常性維持機能、というものを、持っています、今までと同じでいたいし、それを安全だと判断しているものです。
気づきも、奇跡も、癒しも、インスピレーションも、学びも、メッセージも、ガイダンスも、
本当の見方・知覚も、
認識も、視点も、「自分が考えたことなどではない」。
これは、非常に重要なこと・・・
じゃあ、まず、どうすればいいのか?何ができるのか?というと、
自分の解釈・自分の考え・自分の判断だということに、気づくこと、です。
それだけです。
「自分の」という感じがしない場合もあるかもしれません。
外側から拾ってきた情報、自分が好きな人・尊敬する人・憧れる人・メンターが言っていたことを照らし合わせて判断している、ということもよくありますが、ここでは、これも「自分の(エゴの)考えたこと」としています。
それを自覚し続けていれば、
そして、同時に、自分の中の「これはこういうものでしょう」という隠れた決めつけ・思い込み・価値判断に気づき続けていれば、
やがて、本当の「インスピレーション、メッセージ」が、
現れます、受け取れます、為されます。
これは、でも、意外と、難しいというか、繊細なところだな〜と思ったことがあります。
とても、自分が自分と向き合ってる必要がある、自分が自分に正直な必要がある。
情報の横流しということや、誰かが言ったことを自分の考えだと思い込む、ということは、意外とよくあることだからです。
それほど、自分の内側と向き合うことを、恐れている、ということ。
自分の内側と向き合ったら、そこには、愛・光・神聖性だけがあることが、わかっちゃうから。