恋愛結婚のご相談で

恋愛結婚系のご相談で。

 

 

例えば、インターネットや、本や、SNSや、誰かの情報で、

脈アリか脈ナシかどうか?だったり、

本命か本命じゃないかどうか?だったり、

どうやったら好かれるか、モテるか、喜ばせることができるか?だったり、

こういう言動をとるときの相手の本音・本性、だったり、

「そういうのが気になって、見ちゃうんです」

と、打ち明けてくださる方は、多いです。

 

 

これについては・・・

そういうのを調べることがダメだと言うことはないのですが・・・

もし、あなたの目的が、幸せなのであれば、こんなことを調べていても、時間の無駄、具現化エネルギーの浪費です。

 

 

もちろん、ダメとかじゃないです。

罪でも、邪悪でも、ないです。

ただ、時間稼ぎです、というだけです。

心においても、この世界においても、幸せ・奇跡を受け取ることへの、エゴの時間稼ぎ。エゴは、時間稼ぎ、というはたらきがあります。

 

 

なので、どうしても、見ちゃう、というときは、

「ああ、わたしは今、完璧な幸せを受け取るまでの、時間稼ぎをしているんだ(そのままでOK、無条件の愛)」

ということを、思い出します。

 

 

ここで、例えば、外側から得た情報を「正しい」と思い込み、

それを基準に、相手を見るようになる・・・

ということがあるとするなら・・・

それが、

エゴの解釈を真実だと思い込み、悲劇のドラマを作ってきた、そして手放せないことに、つながっているかも知れません。

このようなときは、自覚することが、まず第一なのですが、この自覚も、無自覚の場合は、自覚ができない。

そんなとき、その機会(奇跡というひっくり返しの機会)を与えてくれるのが、「どう考えても嫌いな人、許せない人」だったり、するものです。

 

 

「わたしは知っている、わたしはわかっている」という感覚を強めていくほど、

自分の気持ちも、相手の気持ちも、わからなくなり、感じられなくなり、しかも、それに気づけなくなります。

さらに、気づいていないことを認めるときには、多少屈辱感、不快感、抵抗、恐れなどを感じることもあり、さらに「時間がかかる」ということもあるかもしれません。

 

 

けれども、相手の気持ちなど、わからないのです。

自分の気持ちも、わかっていないのです。

このことを、本気で受け入れたいと思ったとき、

あるいは、もう、わけのわからないまま「わたしは、何もわかっていません」と受け入れたとき、

エゴの解釈や分析などよりも、よほど大事なもの、

そして、ずっとそこにあったもの(深い意味で、ない、ないからほしい、と、思い込んでいたもの)を受け取ることになります。

 

 

「どうせ、相手はわかってくれない(ということを、わかっている)」

「どうせ、こう言えば、こう言われるだろう(ということを、わかっている)」

「相手は、こう思っただろう(ということを、わかっている)」

と、思うとき、全て、間違っていますし、

自分がわかっていないことを、わかっていない、ということです。

 

 

「わたしは、なにもわかっていません。ただただ、すべてを、無条件の愛(内なる神、大いなる存在、完全なる一体性)に導かれることをゆだね、幸せを望みます、決断します」

と、最高最善を、心から選択し、決断することを、

エゴという思考システムが「そんなことを思うのは、負けることだ、バカになることだ、間抜けになることだ、無責任になることだ」と言って、出鱈目を弾き出してるだけで、

それは、本来の自分自身、自然な在り方とはかけ離れているので、苦痛となっている、ということです。

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