瞑想じゃなくても

瞑想じゃなくても、歩く方がいい(できれば自然の中を)ということもある、と、前の記事に書きました。

「絶対こうじゃなきゃいけない、これこそが絶対だ、みんなこれをやるべきだ」という、方法というかやり方というか、そういうのはなくて。

 

 

歩く方がいい(できれば自然の中を)ということもあります。

湯船に浸かるといい、温泉に行くといい、ということもあります。

料理をするといい、ということもあります。

歌うといい、ということもあります。

演奏するといい、ということもあります。

絵を描くといい、ということもあります。

できれば定期的に旅行に行くといい(行った方がいい)、というような場合もあります。

「いい」というのは、何にいいか、というと、すごく大事な何かにいい、という感じです。

 

 

料理とか家事とかは、エネルギーがいい感じで整ってないと、できないと思います。

それで思い出したのですが。

「占い師さんから専業主婦が向いてると言われた」という話を立て続けに聞く、ということがありました。占いの種類は・・・色々あった気がします(忘れました)。

そして、その方達に共通していたのが、芸術系の才能が豊か(そういうご活躍をすでにしている)ということだったのです。

もちろん、占いで専業主婦に向いていると言われた人、みんながみんな、芸術系で活躍すべきとか、そういう話ではありませんが(笑)

その話をききながら、やはり、料理とか家事とかは、神の愛の表現だな〜という感じがしていました。真にクリエイティブというか。

自分を責めてたら、片付けとか掃除とか、できなくなると思います。料理はできても、片付けが苦痛、とか、そんな感じになっちゃうかもしれません。

 

 

なので、例えばですが、「わたしは結婚して、出産して、専業主婦になりたい」という「願い・夢」があるという場合で、

それが「外側から取り入れた願い」ということもあるかもしれませんが、

それがその方にとっての使命(自分の命を輝かせ、その輝きを広げていくための役割)ということもあります。

こういう使命って、人と比較したり、外側の情報を基準にしたり、しているうちは、どうしてもよくわからないもの、なぜかうまくいかないもの、になってしまうものです。

 

 

 

それで、いろんな方のお話を聞いていると、直感的に、今の自分にとって必要なことを、すでに行なっていて、

でも、そのことを、自分で過小評価していたり、それどころか自責の道具になっていたり、という場合もあるようなのです。

 

 

意外と、心の奥ではすでに、答えを知っていて、かすかにその感覚を受け取っているものかもしれません。

その「かすか」な感覚に耳を澄ませていく、雑音を雑音だと気づくことで、純粋な、すでにあるその声に耳を澄ませていく。

何度も何度も、頭でこねくり回すのではなくて、じっと耳を澄ませていくと、パンの生地が、ぷ〜っと膨らんで、美味しいパンが焼けるものです。

こねる、というのは、確かに自分でやるものですが、膨らますのは、自分以外の何かによるもので、その「膨らます」が抜けてしまえば、パンは焼けないのです。

 

 

この「膨らます」というプロセスを「苦手なんです!!」という方、言い続ける方もいらっしゃいますが、

そういう場合は、できるかできないかじゃなくて(そもそも自分でやるものではないですし)、

パンを焼きたいか、焼きたくないか?

わたしは何を望んでいるのか?目的はなんなのか?・・・をはっきりさせると、いいのかもしれないです。

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