秋の感じ〜光とエンパス

どうでもよい話です。

 

今日、朝、窓を開けると、「秋の感じ」を感じた。

私が住んでいる場所では、2〜3週間前くらいから、いつの間にか蝉は鳴かなくなり、夜になると「秋になく虫」がないていたので、ああ、もう虫的には夏は終わって秋なんだな、なんて考えていたんだけど、

今日、朝、窓を開けたとき、私の中が「秋の感じ」でいっぱいになった。

まず、音が違う。この「音」というのは、きっと、五感の聴覚で聴こえる類のものだと思う。音の響き方というか、ベースにある何かみたいなものが、明らかに昨日までと・・・と言っても昨日までは台風が来るか来ないかみたいな感じだったので、台風前のときとは違う感じがする。

次に、においがする。この「におい」というのは、きっと、五感の嗅覚ではない類のものだと思う。

そして、触り心地のようなものも、確かに変わっていた。

私はこの「秋の感じ」を、毎年、感じる。もちろん、秋だけじゃなく、他の季節も。季節だけじゃなく、他のことでも。

それで、この「秋の感じ」は、私の中から、ノスタルジックな気持ちを溢れ出させた。

この「秋の感じ」を感じたことがある、これまでの人生での場面(映像)が、走馬灯のように蘇った。

なんというか、切なくて、甘くて痛々しくて、どうしようもない感じ、が出てきた。

数年前まで「こういう感じ」が出てくるたびに「しばらくそれに飲み込まれる」ということをしていたのだけど、

今は、「その感じ」が、私と共にある、という感じで、飲み込まれなくなった。

例えが適切かどうかわからないけど「おばけを横に連れて歩いてる」みたいな感じです。笑

しばらくすると、おばけも、どこかに、行くでしょう。

 

 

数年前と現在の違い、というところで、もう一つ、最近、明らかなのが・・・

私は、数年前まで、とにかく、人がたくさんいるところが、苦手でした。

東京とか、大阪とか、京都とかの、大きな駅とか。

大きな空港、とか。

大きなお祭りのとき、とか。

連休中のショッピングモールにうっかり行ってしまったとき、とか。

何がどう苦手だったか、というのは・・・今書こうと思ったら、よく思い出せなくなってた。

それが、最近、苦手じゃなくなってることに、あるとき、あれ?と気づいた。

 

 

私は、どちらかというと、西というか南というかの「のどかなところ」に住んでいて、でも、定期的に、東京とか大阪とか京都とかに行っています。

それで、以前は、人がたくさんいる都会の方に行くと、身体的にも、エネルギー的にも、なんか不調な感じになるというか、好調ではない感じになるというか、そういう感じだったので、とにかく、出張前後は「ヒーリングやマッサージの予約で挟む」ということをしていました。笑

それが、今年に入ってからだと思うのですが、あるときふと、そういうこと(「ヒーリングとマッサージの予約で挟む」)をしなくなっていた自分に気づいたのです。

あるとき、東京の大きな駅をウロウロしているときに、「自分の家にいるときのような寛ぎ感」が広がっていることに、気づいたことがあったのです。

あるとき、大きな空港の中にあるカフェでぼんやりしているとき、人々を含める全体の光とエンパスしている自分に、気づいたことがあったのです・・・うーん、言葉にすると、なんかちょっと違う感じがするけど、まあいっか。

とはいえ、ヒーリングもマッサージも、好きです。

 

 

自分が、いわゆる、HSPやエンパスというものに該当するということを受け入れてみたとき、その「障害」的なところの方が、気になっていたときがあったし、

その「障害」的なところを気にして「もうこれ一生ものじゃん」と絶望していたときもあったし、

やはり、そういった領域においても投影している自分に、さらに深く”きめ細やか”に気づいて、しんどいときもあったのですが、

なんとかなるもんですね。

なんとかなるもんですね、というのは、言い換えると、神に不可能はないのですね、です。

それを思うと、ぴったりな言葉が、思い浮かばないほどの、感謝を感じます。

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