恋と愛。赤い錠剤と青い錠剤。

わたしは昔「愛」という言葉自体が、なんか嫌だった時期がありました。

「愛」という言葉を聞くと、なんかモヤモヤして、嘘くさいような、偽善的なような、そんな気持ちになっていたことが、あったのです。

(今思えば投影です)

 

 

でも、本当に、純粋に嫌だったかといえば、実はそうではなく、ちょっとどこかで、憧れているような、求めているような、そんな気持ちもあったのです。

まさに「酸っぱい葡萄」のような感じでしょうか。

 

 

それで、その、「愛」、特に、この世界で「愛」という言葉を聞くたびに感じていた、モヤモヤ感、むずむず感、気持ちの悪さのようなものが、ピークに達した頃だったか。

(そして、その一方では、愛への憧れ、わたしも愛を経験したい、という気持ちがピークに達していた頃でもあったかもしれません)

 

 

なんと、わたしは、

自分が、愛だと思い込んでいたものが、全く愛ではなかった

・・・と、知ることになります。

これは、まったくの丸腰で、能天気に出かけていった、心理学系の講習会での話です。

 

 

今でも覚えているのですが、このときは、ショックすぎて、しばらく動揺が収まらず、

「いや、もしかしたら、そんなことなくて、自分の方が正しいかもしれない」

と、正当化をしていた時期がありました。

※今では、この講習会に心から感謝しています。まさに、人生の分かれ道だったと思います。

 

 

そこから、わたしは、少しずつ、

愛と恋(愛に似たもの)の違いが、冷静に区別できるようになり、

無条件の愛をどうしても知りたくて、条件付けの愛をまずは直視することができるようになりました。

 

 

このような感じで、自分の中の勘違い、間違い、誤解に気づく、ということは、今まで何度もありました。

 

 

「自分が正しいと思い込んでいたいし、完璧でいたいし、自分が神になりたい」

というところがあったり(今、振り返ってみてわかることですが・・)

 

 

「間違い=罪、罪悪=恥」という”エゴの公式”を手放せなかったりした時期もありました。

 

 

自分が、「これは本物だ」と思い込んでいたものが「偽物」だったことに気づくとき、ショックを感じたこともあったけど、

(これは、もちろん、自分の中の解釈や定義の話であって、外側の誰かや何かのことではないです)

 

 

続けてこれたのは「体験」があったからでした。

奇跡、愛、神の采配・・・いろんな言葉で言いあらわせると思いますが、

自分の想像をはるかに超えた、大きな、幸せ、喜び、というのが、ある、それを、こんなにもふわっと、優しく、体験できる、

ということが、何度もあったからでした。

 

 

この体験がなかったら、わたし自身が、こんなこと続けていないでしょう。

 

 

「真の愛」というのは、幸せ、喜びだけがあるものですが、

「偽の愛」というのは、苦痛が伴ったり、両面があったり(愛憎、幸不幸、快不快、弛緩と緊張など)があったりするものです。

 

 

真の愛、というのは、どんどん豊かに、広がって、伸びて、いくような感じですが、

偽の愛、というのは、ジェットコースターのリピート再生(上がったり下がったりを繰り返す)、というような感じのところがあります。

 

 

もちろん、まだまだ、ジェットコースターのリピート再生をし続けたいです、という人もいるかもしれませんし、それはそれでいいと思うのです。

 

 

制限のない、無条件の愛、本当の幸せ、喜び、寛ぎ、自由を、自分にゆるしたい、と望むのであれば、それを受けとり続けていくことができます。

「ジェットコースターのリピート再生は、もう疲れた、もううんざり、もう終わりにしたい」という、ある意味、「負の動機」が、大きな力となって、背を押してくれることは、よくあります。

 

 

しかし、恋から愛へと、心の向きを、変えるとき、というのは、

「色々ネタバレ起こっちゃうけど、本当にいいですか?」

という感じがあります。

 

 

映画のマトリックスの中で、ネオがモーフィアスから「赤い錠剤と青い錠剤、どっち飲む?」と迫られる、というシーンがありますが、

偽から真に、目覚めるとき、というのは、似たものがあるかもです。

 

 

それで、マトリックスでは、その後、戦闘シーンが繰り広げられることになりますが、

実際には、完璧な愛、あまりにも優しすぎる愛に、降参し続ける、ということなのです

が・・・

 

 

私たちの方が「戦闘モード」だったり、愛と恋を混同モードだったりすると、

確かに、吐くような思いをしたり(マトリックスではネオは真実を知った後、嘔吐して気を失う)、つらい感情が出てきたり、

あるいは、古い習慣のまま戦おうとしたり、疑ったり、

ということがあります。

この好転反応が、重度なのか軽度なのか、というのは、一人ひとり違うということもあると思います。

 

 

セッション、レッスン、グループレッスンを受講してくださった方から、

「ひとりでずっと向き合ってきたけど、受講して本当に良かった」

「ひとりでは絶対気づけなかった」

「祈りの力、みんなが祈ってくれてるのを感じた」

などのお声をいただくことがあります。

「真理を知って、嘔吐して気を失う」なんてことにならないために、どうすればいいか?ということも、ピンポイントでシェアしていきます。

 

 

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自分はまだ恋をしていたい、上がったり下がったり、出会ったり別れたり、獲得したり失ったりのドラマを生きていたい、というのであれば、本当にそれはそれでいいと思うのですが、

 

 

恋じゃなくて、愛を経験してみたい、と望む方は、ぜひ、一緒に、奇跡の体験を通して知っていきましょう(学んでいきましょう)。

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