現実創造、具現化、引き寄せ、願望成就、自己実現・・などで、
「人生のシナリオを書き換える」という話があるようです。
ここでの認識とは異なるので、「あるようです」という表現になりました。
もし、このブログを参考にしている方や、セッションを受けてくださっている方の中に、
「人生のシナリオを書き換えることができる」
「自分の思い通りに自分の人生を自分で作ることができる」
という感じのメソッド・理論などを学んでいる方がいらっしゃったら、
・現実創造や具現化とは、逆方向に進む可能性がある
・混乱する可能性がある
・一旦うまくいっても、後から「揺り戻し現象」「ツケを払う」のようになる
・・・という可能性がなくもないので、一度、ここで、整理しておきたいと思います。
※これは、他の理論やメソッドを批判したい、否定したい気持ちで書いているわけではありません。
※「講師の方は正確な理解があったとしても、学ぶ側が誤解していた」ということもあるかもしれませんし、そうじゃないこともあるかもしれません。そして、ネットだけだったり、書籍だけだったりの情報では、盲点ができる可能性・誤解により限界を設けてしまう可能性はかなり高いと思います。
※今から書くことは、一部の方にとっては「がっかりする話、期待外れな話」「耳が痛い話」「受け入れ難い話」となる可能性がありますが、落ち着いて最後まで読んでいただけたら、そういう不快な話をしているわけではない、ということが明確になると思います。
まず「シナリオ」「運命」のようなものは、あらかじめ決まっています。
「最初から最後まで、すでに全て描かれている映画」みたいな感じで、すでに完結しています。
それで、このシナリオ(映画)は、無限ではありませんが、
無限に近いほど、あります。
なので、シナリオ(映画)を書き換える、というよりは、
シナリオ(映画)を選び直すことができる、
という表現の方が、しっくりきます。
Aという映画を書き換える、というより、
AからBへと選びなおす、みたいなイメージです。
それで、たとえば、
(A)一生独身というシナリオ
(B)結婚するというシナリオ
が、あったとしましょう。
自分が今独身で、結婚したいと思っている。
この時点で、自分は(A)にいるのか、(B)にいるのか、わからないけれども、
「(A)は嫌だ、(B)がいい、どうしても結婚したい」
と、思っているとしましょう。
このとき、
・願望成就
・現実創造、具現化
・完璧な幸せ、完璧な喜び
・自分が自分の人生のマスターになる
・法則性
・・・という目的にコミットした上で、お話をするとするならば、
まず「(A)でもいいし、(B)でもいい」と、本気で思えるようになるところまで、
心、マインドを浄化する必要があります。
「(A)でもいいし、(B)でもいい」というところまで、自分自身の純度を上げるという言い方でもいいかもしれません。
・・・このお話をさせていただくと
「ええ〜!そんなの無理!嫌だ!」とおっしゃる率70%、
特に何も言わないけれども、落ち込む率20%
なのですが、笑
・願望成就
・現実創造、具現化
・完璧な幸せ、完璧な喜び
・自分が自分の人生のマスターになる
・・・という目的にコミットした上で、お話をするとするならば、そう、という感じです。
そして、このとき、自分に問いかけたいのは「できるか?できないか?」「難しいか?簡単か?」ではなくて、
「わたしが真に望むものは、なんなのか?」です。
「できるか?できないか?」「無理か?無理じゃないか?」ではなく、
何を望むのか?
望むか?望まないか?
が全てです。
「Aでもいいし、Bでもいいし、Cでも、Dでもいい・・」
となってきたとき、初めて、
「Aでも、Bでも、Cでも、Dでも、自由に選べる」
となります。
「台本の、ここのところだけ消しゴムで消して、書き換える、塗り替える」
というよりも、
「台本ごと選び直す」
「さらに、その台本の映画を、誰と見るか?(エゴと見るのか?神聖な存在と見るのか?)」
という認識、視座を持つということは、意外とコツかもしれません。
色々な理論、メソッドがあり、「何年も学んできた」という方や、「本格的に学んできた」という方も、少なくありません。
そして「学びを白紙に戻す」というプロセスが重要になることも、よくあることです。
今までの学びを否定・批判する、という話ではありません。すべてに意味があります。
あるとき「すべてのおかげで、今、こんなにも幸せなんだ」と心から感謝する未来が自分にあることを、自分が自分に許可してあげることは、大切だと思っています。
自分自身が、外側の情報を両手いっぱいに持った状態のままから、
いつでも白紙の状態にいられるというか、戻れるというか、
そういう感じになることによって、
自分自身にもともと備わっているというか、自分自身の本来の力が発揮され、
自然と明晰になり、確信も持てるようになり、
実践、体験を通して、真に理解できるようになります。