マズローという心理学者の欲求段階説について。
マズローは「人間は自己実現に向かって成長するものなのでは?」と仮定しました。
それで、その自己実現までの5つの欲求、というのがこちらです。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 社会的欲求 (所属と愛の欲求)
- 承認の欲求(尊重の欲求)
- 自己実現の欲求
1〜4までの欲求と、5の欲求が「質的に異なる」という考えから、1〜4までの欲求を欠乏欲求、5を自己実現欲求としてまとめることもあります。
それで、5の上には、自己超越の段階というのがある、としました。
自己超越の段階に達した人ってどんな人?というと、マザーテレサやガンジーといわれています。
「自己実現を果たした人というのはとても少なくて、自己超越に達する人はもっと少ない、極めて少ない。成長しているかに見えて、多くの人が段階を踏み外し、以前よりも後退したような状況に陥る」・・みたいな話もあります。
いろんな欲求を眺めていると、自分だけでなく、みんなが、いろんな欲求を経験してきたんだ、ということが感じられることがあります。
そして、その一つひとつを、大切に、満たしていっていい。
その一つひとつを、大切に、満たしていくことで、その次の段階へと成長できる・・。
・・それで、今、わたしが思うこと、感じたことを書いてみたいと思います。
欲求を持つと、罪悪感を感じることがあって、それは欠乏欲求だから、ということ、が、あります。
この罪悪感というのは「自分は欠乏を信じているけど、それはわたしの感覚じゃない、それは真実じゃない、自分はそんなエゴイストじゃない、と、薄々気づきはじめてる」ということだと、わたしは思っています。
それで、この5段階(自己超越も含めると6段階?)でも、もしかしたら、「次のステージに行くときは、抵抗を感じる」もの、「もう、そういうもの」なんじゃないかと思うのです。
あるいは低いレベルの承認欲求から、高いレベルの承認欲求に、心の向きが変わるときも、抵抗を感じるのかもしれません。
※低いレベルの承認欲求、というのは、他者からの尊敬を得たいというもので、地位、名声、人からの注目や称賛など何かを得ることによって満たすことができるというもの。マズローは、この低いレベルにとどまり続けることは危険だとしています。高いレベルの承認欲求というのは、自分があるがままの自分を受け入れて、大切にしたい、自分が自分を承認、尊重したいというものです。これは、他人からの評価よりも、自分の評価というものが重視されます。
自己実現の欲求というのは・・
マズローというより、わたしの感覚で書いてる話かもしれませんが・・
本当の自分のしたいこと、思い、夢が、
みんなへの貢献、世界への貢献になる。
自分自身の心の奥からの幸せ、喜びと、
みんな、世界の、幸せ喜びが一致している。
これを現実化したい(現実化させる)、というもの。これが自己実現。
「そのフィールドへようこそ」というのが、自己実現欲求。
「自己実現欲求を満たしたい、もっと広がりたい、もっと輝きたい、そうできるはず」というのが、抵抗だったり、怒りだったり、することもあるかもしれません。
自分自身の幸せ喜び=みんなの幸せ喜び
・・という「真の鏡の法則」状態なので、
わたしはこれを「神の実現」と、こっそり呼んでいます・・。こっそりです・・。
それで「神実現」というと、「なんか、ボランティア活動とか、ものすごい事業をするとか、なんかそういうこと?わたしは結婚したいんですけど・・」とおっしゃる方もいらっしゃるのですが、
別に「結婚して、家庭を持って、出産して、専業主婦になる」だったとしても、「(別に空腹を満たしたいとかじゃなくて)ただ食べるのが大好きだから、食べまくりたい」だったとしても、
「自分自身の幸せ喜び=みんなの幸せ喜び」ここに心が向いていて、それをご自分が心からはっきりと認識・一致できていれば、神実現・・自己実現欲求だと思っています。
だから、欲求や願望というのは、自分とみんなを輝かせるための、招待状のような感じだと、思うことがあるのです。
単に「これをこうすれば願いが叶んですよね!?」というようなものではなく、もっと、深く、広く、大きな喜びにつながるもの。
だから、同時に、欠乏の欲求や自分ではない考え、葛藤があるのであれば、そこは、一つひとつ、丁寧にみていって、浄化〜奇跡を受け取っていくということが、大事だと思っています。
それで、前は、「自己実現を果たした人というのはとても少なくて、自己超越に達する人はもっと少ない、極めて少ない」だったかもしれないけれども、
今は、自己実現欲求を持ち、それを叶え、自己超越欲求を持ち、それを叶える・・
という人々が、増えているのではないか、あるいは、増えていくのではないか?という感じが、わたしは、しています。
というのも「欠乏の欲求」は、すごく、簡単に、満たされやすい時代になっていて、本人の心次第というか、望み次第というような感じがするのです。
どの欲求だったとしても、大事にしていい。
全体像を把握していることと、
今、自分の目の前にある、体験していることを、一つひとつ丁寧にみていくこと。
その両方を大事にして、いいんだ、という感じがしました。