恋愛のお悩みで、
「体だけの関係」とか「体だけの関係になりがち」とか
「遊ばれた」とか
あとは、
「恋愛がうまくいかない」
「結婚できない」
「いい感じのパートナーシップが持続しない」
という場合・・。
例えば、男性が恋愛対象だとするならば、
まずは、あなたが、相手を、
「男性じゃなくて、人としてみる」
といいかもしれません。
女性が恋愛対象の方は、
あなたが、相手を、
「女性じゃなくて、人としてみる」
といいかもしれません。
そして、自分のことも、
「女性じゃなくて、人としてみる」
「男性じゃなくて、人としてみる」
といいかもしれません。
もっというと、
「男性女性という前に、人であるし、もっというと、尊い命、大切な存在である」
という感じです。
というのが、恋愛がもう、本当にうまくいかなくて・・
という方のお話をよく聞いていると、
相手のことを男性だと意識しすぎ、
(もしくは、相手のことを女性だと意識しすぎ)
です。
男性も、男性である前に、人間ですし、それ以前に命です。
女性も、女性である前に、人間ですし、それ以前に命です。
うまくいかなくなる場合、このことが、すっかり抜け落ちてしまうということが、非常に多いのです。
例えば、友達でもなんでも、とても居心地の良い、お互いにとって幸せな関係性って、
相手のことを尊重できていたり、素直に尊敬できていたり、人として興味を持っていたり、ただいてくれて嬉しいと思ったり、
心から信頼できていたり、相手も自分のことを信頼してくれているのを感じたり、
会話が心地よかったり、ただ一緒にいるだけでも寛げたり・・するものです。
恋愛関係でも、夫婦関係でも、家族関係でも、これは、まず、人間関係である、ということです。
本当に仲のいい、おしどり夫婦、のような人たちの中には「私たちは夫婦でもあるけど、いい友人でもある」ということをいう方もいらっしゃいますが、そんな感じなのです。
友人関係じゃなくて、恋愛や夫婦などの関係だって、その関係性が幸せなものであればいいなというのであれば、友人関係のときと同じで「人と人」としてどうなのか、というところは、とても大切なことであるはずです。
結婚して、家族になりたい、というのであれば、尚更です。
しかし、この「人と人」というのをすっ飛ばして、
「結婚したい」「子供がほしい」「寂しいときに抱きしめてほしい」「さみしさを埋めてほしい」となっている場合は、
「セックスしたい」「後腐れない感じで、いい感じの子はいないかな」なってる場合と、ほとんど同じようなもので、
それで「体だけの関係になりがち」「都合よく扱われた」などという引き寄せの法則、鏡の法則(愛じゃなくて投影の方の鏡の法則)になってる場合があるのです。
大事なのは、「結婚したい」「子供がほしい」という願望と一緒に、固定観念や価値観などがないかどうか。その固定観念や価値観などで、自分を呪縛して、自分を苦しめている可能性があるのです。
本当に、クリアに、願っていることなのであれば、「なかなか叶わない、苦しい願い、執着みたいな願い」とはならないのです。
そうして「自分じゃないもの」に気づいて、手放していくと、
「結婚したい」「子供がほしい」「寂しいときに抱きしめてほしい」「さみしさを埋めてほしい」という思いの奥にずっとあった、本当の思い、本心と一致します(これが内側の奇跡)
すると、相手や外側にもそれが反映される、それを見ることができるようになる(これが奇跡の反映)のです。
これは「相手を変える」とか「相手が変わる」というよりも、「相手への見方がまるで違ったものになる」といったほうが、ぴったりくる感じです。
もちろん「外側が変わったようだ」とか「急に展開が変わってきた」とか「必要だったもの、望んでいたもの・状況などが、次々と手に入るようになる」というふうに表現できることは、よくあることなのですが、重要なのは、内側、という感じです。(内側の原因と結果が先、外側はその反映)
さみしさというのも、人に埋めさせるのではなく、まずはもう、自分が自分を全力で愛すると決める以外にありません。
というか、さみしさを自覚できている、気づくことができている、自分で認めることができているって、結構すごいことですよ。
ここで、なんとかしようとしないことが、ただ向き合う、ということです。
「自分で自分を全力で愛する」というのがいまいちよくわからない、という場合は、自分の内側にある神様に祈るのですよ。
とにかく、なんでも、神様にホウレンソウ(報告、連絡、相談)するのです。
「外側にいる、どこか遠くにいる、特別な神様」というよりかは、
自 分 の 内 側 に あ る 神 に 祈 る の で す 。
さみしさを埋められる、埋められるというか奇跡に戻してくださるのは、内なる神です。