前回の
というブログを書いたあとで、
「成就の力はすでにある、あまりにも当たり前に、ずっとある、なのに、なぜ、願いが叶わないの?幸せじゃないの?苦しいの?こんな目に遭ってるの?」
という問いが聞こえてきました。
なので、それについて、書いてみようと思います。
その答えは簡単で、
「成就の力はすでにある、あまりにも当たり前に、ずっとある、なのに、なぜ、願いが叶わないの?幸せじゃないの?苦しいの?こんな目に遭ってるの?」
と、わたしたちが疑問に思う、というとき、
「成就の力などない」と、完全に、信じ込んでいるから、思い込んでいるから、決めつけているから、そして、その信念について「自分は正しい」と思っているから、です。
それで、そのようなとき、わたしたちは、
「こうなれば幸せになれる」
「こうなればこの苦しみから解放される」
という「解決策」を自分で作ってしまってる、という感じなのです。
これだと、いつまで経っても願いが叶わなかったり、うまくいかない感じ、しっくりこない感じがするものです。
「こうなれば幸せになれる」
「こうなればこの苦しみから解放される」
という「解決策」を自分で作ってしまってる
というのは・・
前回「成就の力とは、呼吸のようなもの」みたいなことを書きましたが、
「わたしは呼吸ができない、苦しい(問題)」と思い込んだ上で、
「結婚したら、楽になれる(解決策、願い)」と信じている、みたいな感じです。
けれども、結婚しても「わたしは呼吸ができない、苦しい(問題)」と信じていたとするならば、「結婚したから、結婚によって呼吸ができるようになり、楽になる」ということはないのです。
これだと「いつでも思い出すことができるので、呼吸云々については、結婚してから、思い出すことにしよう」と思う方もいらっしゃるかもしれません(笑)
しかし、こういう場合に限って、「なぜか結婚できない、出会いがない、出会いがあってもうまくいかない、好きな人から好かれない、愛してほしい人から愛してもらえない」などの謎現象が起きてくるものです。
なぜなのか?
その理由を、超シンプルに言ってしまうと、自己否定のセルフイメージ、罪悪感(不足感、欠乏感、無価値感等々)です。
例えば、例えばですよ「わたしは愛されない、わたしには価値がない」みたいな自己否定を信じていたとすると、この自己否定から思い描く結婚生活というのは「思い描けない」あるいは「悲しいもの」「また裏切られるもの」「努力し続けて犠牲にならないと見捨てられるもの」みたいになるのです。(だから、自分で結婚にストップをかけているという感じです)
あるいは、例えばですよ「わたしは幸せになってはいけない、なぜなら過去にあんな酷いことをした」という罪悪感を信じていたとすると、
この罪悪感から思い描く結婚生活というのは「思い描けない」あるいは「地獄」あるいは「天罰」あるいは「さらなる罪」みたいなことになってくるので、自分で結婚にストップをかけているという感じ、自分で恋愛がうまくいかないようにしている感じ、なのです。
あるいは、「愛」についての自分定義が、神様定義とズレがある(誤解がある)と、「愛されるのは嫌なこと」となる・・というようなケースもあります。
※セッションでは、この辺りを見ていく感じです。いきなり直視が難しい場合は、その方に一番合う感じで進めています。というか、奇跡を受け取るために必要なことは、こういうことだからです。
これって、一人でも内観できる(そして誰かと奇跡を経験する)こともあれば、
一人では限界があったり、現実的・常識的な見方だけでは盲点ができたりする、ということは、よくあることです。わたしもそうだったですし。
それで・・
「いや?罪悪感なんて感じてませんけど?」
「いや?わたし結構セルフイメージ高いですけど?(成功もしてるし)」
という場合なのですが、
それは、「その自己否定のセルフイメージ、罪悪感を外にあることにしている」から、感じられなくなってる、という感じです。外というのは、過去、未来、他者、親の育て方、世界などなどです。
この「その自己否定のセルフイメージ、罪悪感を外にあることにしている」という心理的な動きを、「投影」と呼んでいます。
そういえば、「投影」とは「影を投げると書く」ということだとクライアントさんが教えてくれたことがありましたが、まさに、そんな感じです。なので、深刻視する必要性はゼロなのです。
なので「願いを叶えたい(でも叶わない)」というときに、することは、
「選ばれしものだけに伝えられてきた秘法を知ること」「情報を獲得すること」「ぐちゃぐちゃの頭の中を整理整頓すること」「特殊な力を持った先生になんとかしてもらうこと」などではなくて、
心の中のマイナスとの一致(マイナスを心の中に信じ込んでいたこと、大事に持ち続けてきたことを直視して気づきを受け取ることで解放されること)という感じです。
するとどうなるか?
「奇跡」というものを体験することになります。「影がなくなった体験、つまり、光の体験」をする、ということです。
それで、この「奇跡」というものについてなのですが、
「願っていたことが叶った」「自分の必要に一致したものが与えられた」ということはよくあることで・・
具体例でいうと、
・「好きな人(この人という人)」と結婚した、仲直りした、プロポーズされた、理想通り理想以上の関係性になった、復縁した
だったり、
・「月末までいくら必要だ!と思ってた金額とほぼ同額を受け取った」「収入がアップして、希望していた仕事ができるようになって、自分の時間も増えた」「昔、願いごと手帳に書いた通りの月収になった」
(あと、意外とあるのが「セッション料金と同額を受け取った」)
みたいな体験も多いのですが、
当ブログに限らず、このような体験談を読んで「内観すれば、必ず願いが叶う」「セッション受ければ、必ず願いが叶う」みたいに思う場合、何度でも思い出したいのは、
「自分で作った解決策通りになるという意味での願いが叶う」のではなく、
すでに与えられている奇跡を心が受け取ることによって、その反映・延長として具体的なこの世界での五感を伴った奇跡の体験も受け取る、ということです。
そして、その奇跡とは自分とみんなにとっての完璧な幸せ・心からの喜び、最高最善です。
これが「当初自分が思い描いていた通り(ずっと願っていたことが叶う)」というケースもあれば
「自分が願いだと思っていたものは願いじゃなかった、本当の願いはこっちだった(そしてその本当の願いが叶う)」というケースもあります。