「お金を使うことの罪悪感」(2)

「お金を使うことの罪悪感」というブログで、

当時、お金を使うことや買い物をすることなどに強烈な罪悪感を感じており、

(当時の自分にとっての)高額を支払うたびに祈っていたら、その直後に使った分以上のお金が入ってくるということが何度か続いて、こわくなって、やめた経験がある

ということを書いたことがあります。

それで、そのあと、どうなったか、については、結構詳しくブログなどに書いてきた気がするのですが、

旧ブログだったかもしれないし、旧ブログの裏ブログだったかもしれないし(裏ブログ懐かしい・・笑)

このブログかもしれないし、忘れたので、わたしにとって、大きく認識が変わることになった体験を、ここにもう一度書いてみようと思います。

すでにこのブログに書いてるかもしれないし、セッションやグループレッスンなどに参加してる方などは「それもう聞いたことある」みたいな話だと思います。

 

 

当時、わたしは、「かなり切羽詰まった状況」でした。

※これは、もう何年も前の話で、今とは別の業種で自営業していた頃の話です。

 

 

それで「お金がほしい(ほしいというか必要)」と考えていたときだったのですが、あるとき、(裏)を思ってみたのです。

「お金がほしい」が(表)だとすると、「お金がない、足りていない」が(裏)です。

そして、この(表)と(裏)は表裏一体関係です。

・・ということを、「頭で知ってる」レベルだったのですが、これを思い出していたのです。

「ほしい」という思い(表)を大きくすればするほど、その(裏)にある「ない」も大きくなります。

つまり「ほしい」という思いからなんとかしようとすればするほど「ない」も同時に保存し続けることになります。

・・というのが「もう、これは、そういうものです」というのを知っていたので(頭レベルですが)、とにかくこれを適用してみたのです。

それで、それを、眺め続けたのです。

ただ、眺め続けたのです。

かなり切羽詰まってた状況だったので、そんな悠長に、ただ眺めてるどころではない、と、普通だったら思うところかもしれませんが、なぜか、そうしていたのです。

 

 

「ほしい、必要だ、なんとかしなきゃ(表)ーない(裏)」と思っている自分の思考の動きを、「ただ、よく見る」ということを、していたのです。

すると、まず、思考が暇になったのです。

「ほしい、必要だ、なんとかしなきゃ(表)ーない(裏)」←これだけになって、これ以上広がらなくなったのです。

 

 

しかし、その間、さまざまな焦りや不安、落ち着かない気持ちなど、不快な感覚や感情などがたくさん出てきていました。

その、不快な感覚感情などを、ただ、出てくるがままにして、それを「ただ、よく見る」ということを、していました。

この不快な感覚感情思考を、誤魔化したり、なんとかするための策を練って行動に移したり、逃げたり、することは、しませんでした。

そんなことしても、無意味である、下手したらそれこそ最悪の事態を自分で作り上げることになることを「頭でわかっていた」からです。

 

 

しばらくは、なんの変化もありません。

ただ、「なんとかしなきゃーない」という考えと、不快な感覚感情が出てくるのみ、です。

それを「ただ、よく見ていた」という感じです。

これは、今でも覚えているのですが・・

この期間「両親が焼肉を食べに行こう」と誘ってきたので、食べに行った、ということがありました。(当時、まだ実家に暮らしていました)

普段だったら、外食を断ることはよくあったのですが、「もう、判断能力ゼロ」という感じで、なされるがまま・・という感じだったのを、覚えています。

これを、何日だったか、何週間だったか忘れましたが(1ヶ月は経ってないと思います)、そんな感じでした。

ある日、ふと、「(今使ってないけど、これから使うかもしれないと思っていた)ノートパソコン」を売ろう、と閃いたので、売ることにしました。

「売ってもなんの足しにもならない」ということはわかっていたのですが、とにかく売ることにしました。

他にも、売れそうなものを売ったのですが、当時はメルカリなどがまだないか、あっても出たばかりか、とかで、買い取ってくれるところに持っていったのですが、そんな売って高く値がつくようなものは持っていなかったので、

「売ってもなんの足しにもならない」という感じでした。

このときは「これを売ったらどうにかなるかもしれない、お金が手に入るかもしれない」というよりも「ただ、売ろうと思ったので、売りに行ってみよう」という感じでしたし、実際、買い取ってもらった金額自体は、「少なく見積もった予想より少なめ」くらいの感じで、これ自体は「奇跡」という話ではないです。

 

 

しかし、こんな感じで、普段であれば「こんなことしても意味ない」と判断しそうな、いくつかのことを、思い立っては、行動する、ということをしていました。

・・すると、あるときを境に、全く想定していなかった大きめの臨時収入や、大きめの仕事の依頼がきて、「お金問題」みたいなものは、すっかり解決してしまったのです。

 

 

「全く想定していなかった大きめの臨時収入や、大きめの仕事の依頼がきて・・」←これ、よく、本などで読んで、「そんなことは自分には絶対にあり得ない。この人たちだけ特別だ」と決めつけていたのですが、そんなことありませんでした。

 

 

それで、この経験を通して、感じたのが、

この「表と裏の外の地点」です。

この「表と裏の外の地点」というのが、創造の場、みたいな感じです。(これが2018年からずっとブログに書いてるところです)

とはいえ、今振り返ると、この「創造の場」というここは、すごく奥が深い、ということと、

ここにとどまり続けることと、こっちに向きをシフトすることがすごく大事だ、ということです。

 

 

それで、この出来事からもう、何年も経ち、

わたしの場合は、感覚的に学び、体験があり、

その後で、本格的に理論的にも学んで、具体的に答え合わせしていっているタイプなのですが、

この出来事って、今こうやって振り返って思うのは、かなり大事なポイントを全て押さえてたんだなぁ、と今思います。

大事なポイントというのは、

(1)エゴをただよく見る

(2)感情感覚が出てきたらそれを感じ切る(抑圧したり、逃げたり、誤魔化したりしない)

(3)誘われたら誘いに乗る(「神は人を使って人を助ける」なので、もう、とにかくよくわかんないけど、そう思うようにしようと思った)

(4)ふと思い浮かぶことがあれば、それがたとえ無意味のように思えたとしても、恥ずかしいとか嫌だとか思えたとしても、そういうものほど、それを行動に移す(いわゆるガイダンスに従う、行動に移す)

・・です。(これは個人的意見ではなくて、学んで答え合わせした部分でもあります)

なんというか、人生ひっくり返るレベルの奇跡を体験する方は、(1)〜(4)を、自然としているようです。

それで、もしかしたら、意外と抵抗があるのが(3)や(4)なんじゃないかと思います。

 

 

この体験は、わたしにとって「お金」に限らず、他のあらゆる面にも繋がっていきました。

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