今日は、ちょっと「物理的な願いの具現化」みたいなお話を書いてみたいと思います。
例えば「今年の⚪︎月にこの国に海外旅行に行きたい」という願いがあるとします。
そうしたら「行く」と決めます。
ここで、この「行くと決める」の感覚なのですが・・
近い感覚で言うと、例えばですが「このあと、スーパーに寄って帰る」とかに近いです。
もうちょっと具体的に言うと・・
「このあと、スーパーに寄って帰る」ということに、
一点の曇りも陰りもない感じ、「失敗したらどうしよう?」とか、「どうせ叶わない」とか、「こんなわたしなんか無理」とか、「こんなこと願うなんて低俗なことだ」とか、「期待したら裏切られるから、こんなこと思っちゃダメだ」とか、罪悪感や、恐れや、自己否定、自責、分析・・そういったものが、ただ、ない、という感じ。・・・(A)
ただ、「このあと、スーパーに寄って帰る」と決める感じです。
もっと細かくいうと、このあと、スーパーに寄って帰れなかったからと言って、落ち込むとか、怒りが湧いてくるとか、このまま食料品を手に入れられずひもじく惨めな思いをすることになるのはゴメンだとか、わたしのせいで家族を餓死させたらどうしようとか、そういう考えもあり得ない感じ、です。・・・(B)
(スーパーに寄って帰れたとしても、寄って帰れなかったとしても、どちらでもいい、そういったことが心の平安に影響を及ぼすことはないことはない。けれども)スーパーに寄って帰る、みたいな感じです。
「スーパーに寄って帰れたとしても、寄って帰れなかったとしても、どちらでもいい、そういったことが心の平安に影響を及ぼすことはないことはない。けれども」とか、わざわざ考えることもしませんが、前意識としてそんな感じというか、あえて分解して解説するなら、こんな感じ、という感じです。
それで「このあと、スーパーに寄って帰る」と決めたら、おのずと、すべき行動みたいなものは決まってきますし、ただ行動しているでしょう。
ここで「行動できない」とか「スーパーに寄って帰りたいけどできない」とか「スーパーに寄って帰るためには、スーパーまで移動して、スーパーの敷地内に入ればいいのはわかるけど、行動に移せない」とか、「何をしたらいいかわからない」とか、そういうことも、ないでしょう。・・・(C)
ただ、スーパーに寄って帰るだけ、です。
海外旅行も同じ。
願ったら、ただ決める。そして、そのために必要なことを行動する。
決めたなら「何をすればいいかわからない」とかもないです。
何か、現れるなり、気づいたら行動してたなり、します。
「決めてるのに叶わない、現実が変わらない」というときは、「それは決めたうちに入らない」ということを、(認めたくなくても)認めなければなりません。
さて。
スーパーや海外旅行と、恋愛や結婚や家族、人間関係、身体、お金・・
これは、何が違うでしょうか?
願いを叶える、というとき、何が大事なのでしょう?
願いは、自分が叶えるのでしょうか。それとも自分の中にある何か大きな力が叶えるのでしょうか。
「願いが叶わない」というとき、
大事なのは、(A)(B)(C)に、正直であることです。
もっというと、(A)(B)(C)の奥にある、本当の願望(スーパーに行きたいとか、海外旅行に行きたいとか、結婚したいとかはダミーです)、その奥にある、本当の願望を見つめること・・
本当の願望を見つめることは、同時に、スーパーに行くのを諦めなければならないということ・・・などではありません。
まず、本当の願望とスーパーを、一旦、わけるのです、スーパーに行きたいという思いは、それはそれで、愛して尊重して慈しんで大丈夫ですので、とりあえず、わけます。
・・・おそらく、ジプシーだったり、執着だったり、「あまりにも長い間願いが叶わない」「一番重要なことだけ引き寄せの法則が適応されてない」「重要じゃないのも重要なのも叶わない」みたいな場合は、ここなのです。