前回の記事に・・
※継続コースの方、お祈り文作ってほしい、お祈り文送ってほしい、といってくだされば、喜んでお送りしておりますよ、遠慮は愛の出し惜しみですよ!笑
と、書いて、気づいたのですが・・。
遠慮って、愛の出し惜しみ、なんですね。笑
恥ずかしがり屋さんも、愛を出し惜しんでる可能性、愛をダダ漏れさせてるのに自分で違うと言い張ってる可能性がある、ということですよね。
でも、確かに、そうかも。
例えば、パートナーや誰かに、「〜してほしい」ということを、愛から、伝えることができないとき。
つまり、遠慮したり、「こんなこといっちゃダメ、悪い、申し訳ない」と思ってたり。
「一人でなんとかしなくっちゃ、自分でしないとダメ」と思ってたり。
「〇〇ってことですよね、〇〇ってことでしょ(わたしはわかっている、自己完結)」と思ってたり。
「わがままは悪いこと。甘えたり頼ったりするのは悪い、ダメなこと」と思ってたり。
すると、これが、我慢とか、禁止とかいう感じで、
あるとき、自分から拒絶しちゃったり。あるとき、爆発しちゃったり。遠ざけたり。
「なんでこうなるんだみたいな出来事」になったり。
確かに「人間のこの世界の常識」みたいな、外側基準で生きてると、
つまり、遠慮したり、「こんなこといっちゃダメ、悪い、申し訳ない」と思ってたり。
「一人でなんとかしなくっちゃ、自分でしないとダメ」と思ってたり。
「わがままは悪いこと。甘えたり頼ったりするのは悪い、ダメなこと」と思ってたり。
これが、なんだか、「いいこと」みたいな、錯覚をしてしまう。
だから「この世界の常識」「自分の思考パターン」でうまくいかない感じになってることに、気づきはじめているんだったら、
「この世界じゃない方の常識」を学ぶ必要がある。じゃないと、抜け出せない。
自分からの「こうしてほしい」という一言が、相手を幸せにすることが、あるのです。
自分の「わがままだと思ってたこと」が、相手の喜びになることが、あるのです。
わたしは「心の中に隠してる神様への贈り物を一緒に探してほしい、一緒に祈ってほしい」と、お願いされるとき、
すごくすごくすごーく、嬉しいです。
もう、わたしが癒されちゃう。
なので「心の中に隠してる神様への贈り物を一緒に探してほしい、一緒に祈ってほしい」という方は、そういってほしい、という感じです。
「わがままがわがままじゃない神の子」「愛されるしかない神の子」でいたいのか。
「真面目で常識的で善き人間」でいたいのか。
自分が決めることができます。
「愛されるしかない神の子、ぜんぶうまくいくしかない神の子」は、
「この世界じゃない方の常識」を学ぶ必要があります。
「この世界じゃない方の常識」は、真の自由のための、常識です。
特に、犠牲や取引にまつわる信念を、本当に、丁寧に、愛に戻していくことが大事です。祈りによって。