前回のブログで、
「問題、悩み、執着」だったり「嫌いな人、ゆるせない人」などが「入り口」ということを書きました。
それで「入り口」はなんでもいいのです。
なので「宝くじが当たりたい」でもいいのです。
前のブログで、
「※もちろん「祈りで宝くじ当たるってことですか」とか、そもそもそういう話じゃない、この発想の場合、単純に、論点というか色々全然異なるって感じです(念のため!笑)」
・・と書きましたが笑
でも、この「宝くじが当たりたい」を「入り口らしいぞ、これは自分の本当の願望ではないらしいぞ、なんかよくわかんないけど」と認識することは、すごく大事、ここ自分の考えを正当化しないことが大事です。
このことを認識することは、少な目に見積もっても、20年分くらいくらいの時短になると思います。
※ちなみに、風の時代突入前、とかでいうと、「10回生まれ変わる分くらい」だったかもしれません。
もちろん、「宝くじが当たりたい」と思いながら、「金運上昇グッズ」を買い、「宝くじ」を買い、「金運上昇パワースポットを巡る旅」をするのも、まぁ、経済回しながら旅行する、というという意味では、いいかもしれませんが。笑
でも、本当の願望と繋がってないと、心はどんどん疲れてきます。
それで「宝くじが当たりたい」という入り口から、心の階段を降りていくと、
承認欲求(認めてほしい)
このままじゃダメだ、今のままじゃダメだ
できない自分はダメだ
力不足だ
価値がない
能力がない=価値がない
わたしは劣っている(優越感を感じたら、劣ってないことになる)
競争意識
孤独感、寂しさ
・・などなど、これは、例えばですが、
いろんな「分離世界の常識」が出てきたりすることは、とても、よくあることです。
それで、もうちょっと、深く、心に潜っていくと、
「愛がほしい」
「絶対的な力、絶対的な支え、絶対的な確信がほしい」
「安心したい」
「苦しい心の状態から救われたい」
など、愛を求めていたことに、気づくことが、あるかもしれません。
・・・光と共に、心の中に潜っていくのは、とても心地が良いことで、
どんな自分も癒しの光に当ててもらいながら、光にガイドしながら、
どんな自分の思いも、ただただ、認めていく、だけで、
あるとき、本当の願望と、一致するのです。
本当の願望というのは、すでに叶えられている、すでに与えられている、すでに持っているものです。
この心の中の一致は、世界に映し出されます。
自分と自分の関係性、自分と神との関係性は、この世界の誰かや何かとの関係性に、映し出されます。
これはもう「こういうものです」というもので、受取拒否してる方が、難しいと思います。
・・こんな感じなので、心に潜ることも、ほぼ全て、光に導いてもらう、という感じで、
自分で何もする必要がないのです。
・・これは、すごく、思い浮かんだまま、適当に書いたので・・
自分の心に、自分が、光と一緒に、潜りたいと思うことが、一番大事です。