なぜ「街へ出よう」なのかについて

以前「出かける」とか「街へ出よう」というようなことをブログに書いたのですが、そのことについて。

このことについて「ええ〜(気が重い、めんどくさい)」となった方もいらっしゃると思う。

実際セッションで、このことについて打ち明けて、尋ねてくださった、クライアントさんが何名かいらっしゃったおかげで、

受け取ったものがあるので、シェアしたいと思います。

 

 

その前に、話が変わりますが、クライアントさんと対話をしていて、わたしがしゃべったことや、ブログに書いていたことで「動揺する感じなどを感じたこと」を、このようにして、「ただ、尋ねてくれる」というのは、わたしにとって、とてもありがたいことなのです。

「ただ、尋ねてくれる」の「ただ」とは「これって、こういうことですよね!」がない、ということ。なんというか、まっさらな感じ。

あるいは「これについて、わたしはこう思ったけど、恐れじゃなくて、幸せの方の意味を知りたい」みたいな感じ、ということ。なんというか、(恐れが出てきたけれども)恐れじゃなくて、光の方を見たい、という感じ。

「わからない」ということが「こわい」というのは、奇跡の前触れ、光の前兆です。

 

 

わたしはよくメッセージを受け取るのですが、わたしが受け取るメッセージって、感覚で受け取ります。

そして、その感覚を、わたしは言葉にして、ブログを書いたり、お話をしたりするのですが、このときの「言葉、表現、言い回し」って、どうしても「わたし個人仕様」みたいな感じのこともあると思います。(多分)

 

 

でも、わたしが受け取った感覚自体は、安心や寛ぎなどを共有できるものとして受け取っているので、

わたしが「書いていること、喋っていること」で動揺する感じがあった場合に、「これは何かあるはず」という感じで、まっさらな感じで、質問してくださると、わたしも、そのソースに、質問できる感じです。笑

すると、わたしひとりでは見えなかった景色が見えてくる。

質問してくださるかたがいらっしゃるおかげで、わたしひとりでは見えなかった景色が見えてくる。

だから、まっさらな感じで、聞いてくださるというのは、わたしにとって、本当に、本当に、本当に、ありがたいこと。

 

 

こうやって書いていると、パートナーシップを思い出す。

恋愛でも夫婦でも友人でもビジネスでも親子でも・・この一対一の関係性、信頼関係を深める二人が出会っている状況を思い出す。

 

 

例えば、パートナーとの関係の中で「え?」と思うような、ちょっと心に引っ掛かりを感じるようなこと、動揺を感じること、不一致を感じることって、まぁ、よくあることなのかもしれない。

心の距離が近ければ近いほど、そうなのかもしれない。

相手と向き合いたい、という思いが強ければ強いほど、そうなのかもしれない。

相手を大切にしたい、という思いが強ければ強いほど、そうなのかもしれない。

 

 

それで、自分が相手の言動に「え?」という動揺を感じたとき。

一回落ち着いてから、まっさらな感じの心を思ってから、

「これは、何かがあるはずだ(思いもよらないギフトがあるはずだ、という意味)」で、相手にまっさらな感じで尋ねてみる。

「〇〇ってことなんじゃないでしょうね・・!」というような、予測、想定を、拭って、まっさらな感じできく。

 

 

相手の言葉に動揺したとき「まっさらな心」と思い出してから、尋ねてみる。

すると、”領域”が、広がる、深まる。

お互いが、相手に、心から感謝したくなるような、あたたかい感じを受け取る。

 

 

「広がる、深まる、機会」として受け取りたい、と思えば、本当に、思いもよらない幸せが広がっていく。

過去が、どんどん、生まれ変わって、光に戻っていく。

 

 

だから「これってどういうことだろう?」と、ちょっと動揺を感じるときは、浄化と奇跡チャンスですね。

 

 

話が全然関係ない話になっちゃった。笑

本題は次回へ・・笑

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