「ダメな自分でも愛される、という認識から、ジャンプしてみたい」
「このように考えるとかが悪いとかじゃなくて、ただ、もう、卒業したい」
「もちろん、いい自分じゃないと愛されない、というわけじゃ、ない」
「もう、このコイン思考、振り子思考から、自分を自由にしてあげたい」
「否定ー肯定」という分離の枠内での肯定は、
必ず、裏に否定があります。
だから、否定と肯定、という分離の枠内での肯定に無意識だと、緊張がつきまとう。
自分で見ていかない限り、
自分の内面を、心を、見て感じたいと思わない限り、
気づかないところで、自己否定感を、自分が、育んでしまう。
「肯定的な自分はOK」の裏に「否定的な自分」が隠れていて、
「肯定的な自分」を大きくしようとすればするほど、
その裏面にある「否定的な自分」も、同じように大きくなる。
これは、もしかしたら、
「お褒めの言葉をたくさんいただく」とか、
「モテそうなのに。うまくいってそうなのにってよく言われるけど、でも」とか、
「本当によく頑張ってるよね。すごいよね。ってよく言われるけど、でも」とか、
そんな感じなのに、
「一番欲しいものが手に入らない」とか、
「一番大切なところがうまくいかない」とか、
そんな感じになっちゃう。
全肯定のまなざしでみていく、というのは、
「肯定的な自分」も「否定的な自分」も、等しく、優しく、慈しんでいく、ということ。
それで、見落とされがちなのは、
「否定的な自分」と、自分が決めつけている方。
この「否定的な自分」を隠したまま、見ないまま、
見るのが嫌だ、怖い、と言って、これを抵抗と認めることもせず、後回しにしてることが、
「一番欲しいものが手に入らない」とか、
「一番大切なところがうまくいかない」とか、
「愛されたい人には愛されない」とか、
「後回しにされる、無視される、都合よく扱われる」とか、
「結婚できない」「同棲はじめてセックスレスになった」「結婚した途端、うまくいかなくなった」とか、
「売り上げがある一定数のところで止まる」とか、
「仕事が好きだったのに、体調壊して働けなくなった」とか、
・・そういう、ありとあらゆる、「具体的な問題・悩み・執着になった願い」のドラマの作成に関わっている。
「否定的な自分」を隠したまま、見ないまま、
見るのが嫌だ、こわい、と言って、これを抵抗と認めることもせず、後回しにして、
いいところだけ見せて、いいところだけ見て認めて、わたしの台本通りに褒めてほしい、という気持ちを隠し持って、
コントロール・操作というエゴの罠にハマることで、
自分が自分を苦しめている。いじめている。
「全肯定」と「肯定」を混乱したまま、
「なんでもいいよ」としてしまって、
「不幸」を「幸せ」と勘違いしたまま、
「不幸を望んでいる自分も肯定。あなたにも、こんな自分を認めさせたい」
というトリックにハマって、気づかないまま、
自分が、苦痛や、不幸を選択している。
この、
自分が自分を苦しめている。いじめている。
自分が、苦痛や、不幸を選択している。
このことに、今、気づかなくてもいい。
なぜ、今、気づかなくてもいいかというと、
誰でも、いつかは、このことに直面して、立ち止まり、
全て自分が選んだことだったと認めて、選び直すことになる。
投影も、自己否定も、ドラマの再生も、「分離を念力で引き寄せる」も、
限界があるからです。
だって「幸せであること」が、本当の自然体だから。
もっというと、誰もが、本当は、神から完璧に守られ愛され尊重されている神の子だから、です。
これを、10年後に気づくか、
50年後に気づくか、
今気づくか、
来世気づくか、
本当は、どれも同じことだから、好きにしていていいし、「なんでもいい」のです。
でも、わたしは、楽であることが好き。いつも、楽にしていたい。
自己呪縛に自分から突っ込んで、その呪いの言葉をコインの裏側に隠して、
人のせいにしたり、自分のせいにしたり、
自分を制御しなくちゃと格闘したり、
しているような、そんなことはもう、していたくない。
楽に、自由に、生きていたいし、同じ気持ちの人とこのことを分かち合えたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。
コインの裏側、
プラスとマイナスの表裏一体の、マイナスの方を、見るのは、勇気がいりますし、
一人ではなかなか気づけない、認められない(=気づきたくないし、認めたくないと思ってる)ものです。
なぜ、勇気がいるかというと、
幸せになっちゃうからです。
奇跡に心を開くことになっちゃうからです。
愛の奇跡、完璧な幸せに、心を開くことに対して、エゴが「こわい」と言っているだけです。
ポジティブシンキングや、
おまじない的なものが、
悪いとは言いませんが、
コインの裏側に呪いの文句書いたまま、何をしても、
呪いの文句が唱えられ続けます。
そして、この「呪い」って、自分で書いて、自分で選んだんだから、こわくもなんともない、
自分で書いて、自分で選んだと、はっきりと認めることさえできれば、
今すぐ、奇跡に変えてもらうことができる。
「ダメな自分をダメな自分として認める」「ダメな自分でも愛される」とかじゃなくて、
すでにある「本当の自分自身」の感覚、輝きを、受け入れていきたい。
「ダメな自分でも愛される」という、エゴの分離思考の認識から、卒業したい方、
そうじゃなくて「愛し愛されることしかできない、本当の自分自身」に、奇跡を受け取りながら、目覚めていきたい方、
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