どんなに「この出来事によって、わたしは、こんなに大変な思いをしている。こんなに苦しい感情を感じている。どうしていいかわからない」と思えたとしても、
「この出来事によって」という「外側の何かによって、この世界の何かによって」ではない、
内側の奥にあるもの、中にあるもの、心・・・こちらが「先」であるということを、何度でも何度でも、思い出したい。
内的な何か、心が選んでいる内的な何か、それを、この世界、外側に、映し見ているだけ。
この世界はスクリーン。
だから、なんなのか、というと。
その大変な思い。
こんなにも苦しい感情。
目を背けたくなるような考え。
怒り、疑い、不満、焦り、悲しみ、絶望・・
これを、感じることが、できている、ということ。
この奥にしか「力」はない。
この奥にしか「真の解決」はない。
この奥には、本当の癒しが待っていて、その本当の癒しは、創造性、永続する喜びへと向かっている。
だから、その苦しい感情を見るしかないし、
いくら考えてもわからないこと、
どうしたらいいかわからないこと、
という、その「わからないこと」というのを、
「わからないから、見ない、感じない」とかじゃなくて、
それでも、わかりたい、という自分の思いを、そのまま、祈る。
わからないから、導いてほしい、と祈る。
どうすればいいか、わたしでもわかるように教えてほしい、と祈る。
わからないから、教えてほしい、と祈る。
確かに、これは「ポジティブシンキングが現実化する」という表面的なエゴの解釈で留まっている場合においては、
恐ろしい話、疑わしい話に聞こえるかもしれない。
でも、裏にネガティブが書き込まれているその表面としての、ポジティブシンキングというのは、ネガティブとポジティブを同時にこの世界に投影することになるので、迷いが深まる。
ネガティブをバネに、頑張ってポジティブになろうとしても、「コイン」を製造するだけ。
真のポジティブとは、全面的であり、永続的である。
否定と肯定の「肯定」は、常に「否定」を作り続けることになるけど、
それを同時に”ただ、本当の意味で、見る”という全肯定の感覚は、全面的であり、永続的であり、全一性を思い出させる。
「全肯定(そのままでいい)」というのは、
奇跡、癒し、完璧な幸せ、永続する喜び、
「一時的なワクワクに従って、後で後悔する」ということを、もう、おしまいにして、
本当のわくわくにアクセスするための、最低ラインが、
「全肯定(そのままでいい)」という心の基本姿勢。
これを受け取っているという、感覚。
全肯定の感覚を感じて、掛け算して、持続、定着をしたい、という目的に、
「参加してみたい」「参加してみたいかも」の感覚がきてる方、
グループレッスンのご参加、お待ちしております。
内側、心の状態は、必ず反映されるので(それはもう、そういうものなので)
みんなで奇跡の体験、喜びを分かち合いたいな〜というのもありますし、
皆さんのシェアによって、マイナスも掛け算によってどんどんプラスになる(マイナス掛けマイナスはプラス)、
「こんな暗い話したらダメだ」とか「こんな重い話をしたらみんなに悪い」とか「不幸自慢になるんじゃないか」とかじゃなくて、
祈りによって、神聖性の全肯定によって、すべてが贈り物になる、
マイナスも掛け算によってどんどんプラスになる、
というグループレッスンならではの体験も、みんなで体験したいと思っています。
ご予約、お待ちしております。
