「期待と裏切り」というのをゆるしていく(※)と、
あるとき「期待する」の目的が
・裏切られたというため
・がっかりするため
であることに気づく。
じゃあ、希望とか、いい予感とか、そういうのも、悪いってことでしょうか?
そう思って、尋ねてみる。
すると「奇跡は確実であるし確信から生じる」ということが、まず思い浮かぶ。
それで、もう一度、希望とか、いい予感とか、そういうことについては、どう捉えたらいいのでしょうか?
と、尋ねてみる。
すると「今」という感覚が、意識の中いっぱいに、広がる。
「今すでにある幸せ」これは、「過去や未来」というものに反映される。これは必ずそうなる。
時間というものは、神との間、愛との間、完璧な幸せとの間に挟んだ壁。
だから、今だけがすべて。
この「今」というところに、自分が、寛げない、というとき。
助けを求めればいい。導きを求めればいい。
それが、祈り。
そして、奇跡や、癒しや、ギフトを、必ず、受け取っていくのだけれど、
そうしていく中で、自然と、時間という「今まで確かだったもの」が壊れていって、本当の意味で自由になる。
わたしのここ数ヶ月のレッスンテーマというか、「検索急上昇ワード」みたいなのが「時間」でした。
わたしは、時間とか、時間管理というのが、もともと、すごく苦手です。
それで「遅刻すると恐ろしいことになる」というエゴの脅しの声がいつもあって、そのエゴの脅しの声に従って「1時間前行動」という対策・計画を立て、実行する。笑
それで、なんとかなっていた時期もあったんです。
でも、スケジュールが増えたり、いつも一緒に行動してくれる人がいてくれるようになったりすると、軋みが生じてくる。
それで「いつも一緒にいてくれる人」というのは、まぁ、この「わたしの1時間前行動」にうんざりするタイプだったりするもので。笑
わたしは、自分の心と向き合い、何を望むか確認をする。
これからも、この「遅刻すると恐ろしいことになる」というエゴの脅しの声と「1時間前行動」をキープしたいのか。
それとも、自分の信念、自分のパターン、自分の檻、脅しの声から、解放されることを望むのか。
もちろん、わたしは、自分の信念、自分のパターン、自分の檻、脅しの声から、解放されることを、望む。
だから、祈って、奇跡と癒しを求めて、受け取る。
それで、先日、出張にいったときのこと。(このときは一人)
わたしはこの「時間管理が苦手」とか「人混みが苦手」とか、そういった過去の様々な「わたしの反応、わたしの習慣」から、
わたしは、これまで、公共交通機関をできる限り使いませんでした。
「だって、あのときもあのときもあのときも、逆方向に乗ってしまった。あのときとあのときとあのときは、通り過ごして、全然違うところまで行ってしまった。これが、何度あると思ってるのよ!」という、わたしの言い分により、公共交通機関に乗りたくない、と思っていたのです。
だから、贅沢で優雅な感じでタクシーを使ってるとかじゃなくて、ただこわいだけ。本気で、こわい、ただそれだけ。
それで、先日、出張最終日に、ホテルの一階でコーヒーを飲みながらのんびりしているとき、
「今日は、バスと電車を使って、空港まで行ってみない?」という声がする。(このとき一人)
わたしは「ええ〜(反発)」と思う。こわいような。嫌なような。重い感覚が出てくる。
それで、その声を無視しようとすると、
「それでも、あなたは、わたしに従うだろう」
みたいな声がする・・!笑
わたしは、コーヒーショップで、手に汗を握りながら「だって、あのときもあのときもあのときも、逆方向に乗ってしまった。あのときとあのときとあのときは、通り過ごして、全然違うところまで行ってしまった、云々」を思い出しながら、祈る。
それで「よし、やっぱ今日もタクシーで空港まで行こう!もういいや!」と決めて、ホテルの出口まで行くと、
わたしがホテルから出たそのタイミングで「〇〇駅行きシャトルバス」がわたしの目の前に停車し、
そのジャストタイミングに目を丸くしていると、
バスの運転手さんが降りてきて「はい、どうぞ〜」と、わたしをバスに乗せる。笑
(ちなみに、わたしはこのホテルからシャトルバスが出ていること自体知らなかった)
ワクワクと、でも、ちょっと不安と恐れがあったわたしは、
「〇〇駅まで行くんですか?」なんて、どうでもいい質問、見ればわかるような質問を運転手さんにしてみる。
すると、運転手さんが「そうですよ〜!」と超爽やかな笑顔。
その爽やかに安心して、駅に行き、「わたしはもう、あなたの媒体でありたいです」と祈り、
空港までの切符を買って、電車が来て、席に座って、空港に到着した。
もう、それしか、書くことがないほど、スムーズで、わたしはいったい、何をおそれていたんだろう、と思う。
まるで、魚が、スイスイと泳いでいるように、スムーズだった。
すべてがスムーズで、完璧なリズムの中にあった。
わたしは、この経験を通して、聖なるガイドが、本当に、時空を管轄しているのだということを、思い知った。
だから「公共交通機関に乗れました」ということは奇跡とかじゃない。わたしは、それが嬉しかったわけじゃない。
わたしが、驚いて、喜びを感じたのは、もっと別のところにある。