期待って。
うまくいかないときって、人(自分や他者)や”外側の何か”にしていると、裏切られることがあります。
※この”外側の何かとは?”の区別をする上で、「エゴとエゴ以外、神と神以外、目に見えるものと目に見えないもの、愛と恐れ・・・」というところをみていくという方法があります。
いいものを持ってきてくれるだろう、そういうものだろう、
と、無意識的に、思っているとき、「裏切られた!」と感じられることが、あるかもしれません。
そこで、ストレスにならない、すぐに忘れられるほどであれば、スルーできます。
しかし、「期待を裏切られた」ということを、何度も繰り返しているかもしれない、とか、
同じようなことを繰り返しているかもしれないとか、
そのせいで、怒りや恨みや批判やストレスなどで、自分が不快な思いをしていることが、何度もあるかもしれない、今まで繰り返されているかもしれない、と、思った場合。
「内側に原因があるかもしれない」
と受け入れる勇気があると、”望まない同じパターンの繰り返し”から抜け出す、スタートラインに立つことになります。(そして、ここからブレないことが、キモです)
内側に原因があるかもしれない、というのは、「自分が悪い」とか、そういうことではありません。
もっともっと、自分の心に耳を傾けて、寄り添って、受け入れて、認めていくことだけが重要、ということです。
外側を追い求めても「目の前にぶら下がった人参を追いかける」ことになるだけです。
そんなふうにして、自分が自分の内側に向き合うということは、自分の心に耳を傾けて、寄り添って、受け入れて、認めていく、という、とても、あたたかい、優しい、ことなのです。
「向き合うのがこわい!」というときに、勇気をもって、「わたしは、なにをおそれているのかな?」みてみると、意外とこわくなかった、という学びを受け取るだけでなく、
いわゆる「潜在意識のブロック」を、外すことになります。
たとえば、「期待してしまう」という、心の奥をみていくのが、こわいとき、
それでも、心の奥で、なにを恐れているのか(信じているのか)みていくと、
自己否定感だったり、無価値観だったり、欠乏感だったりします。
これを、みないまま、受け入れない・認めないままだと、
自己否定感だったり、無価値観だったり、欠乏感だったりを強化する現実を受け取ることを繰り返す・・・ということに、なる・・・。
なぜなら、「無意識的なわたしの・信念・見方・フィルター」というのを、そのまま知覚していて、現実だと思い込んでいるからです。
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じゃあ、期待するなというのか?というと、そうではなくて。
この期待する先、というのは、
たとえば、運命だったり、神様だったり、宇宙だったり、流れだったり、するのかもしれません。
なんだか、よくわからないけど、なにか、うまくいく気がする。
(ご先祖さまや、高次のなにかに)愛されて、守られている感じがする。
最近ずっと雨だけど、またきっと晴れる日がくる気がする。
今日も、素敵なものを、受け取れる一日に、ありがとう・・・と、なぜか、そう思える。
・・・なにかよくわからない、目に見えない、大きななにか、説明ができない、証拠もない、納得もできない、でも、ずっと、わたしを、見守ってくれてたような気がするなにかに、
与えてくれることにありがとう、と、思う。
そんな期待は、裏切らない
・・・という経験を、わたしだけでなく、多くの人が、しています。