「ただ気持ちを認めるだけでいいの?深掘りしたほうがいいの?」について

内観について。

出てきた思考や気持ちや信念などを認めるだけ、認めて祈るだけでいいの?

それとも、もうちょっと深掘りしたほうがいいの?

手放すの?そのままをゆるすの?

という感じのご質問をいただくことがあるので、それについての回答です。

 

 

まずですね。

内観は「自分の力でしようとしない」ことが、とっても重要です。

「自分の力でなんとかしよう。内観しよう」とすると、こういった感じの疑問が出てくると思います。

ここでの「自分の力」というのは「エゴの力」を指しています。

 

 

じゃあ、どうするのか?

 

 

「ああ、自分は今エゴと同一化している」ということを自覚している場合でも、

自覚していない場合でも、

「いいえ、エゴと同一化なんてしていません」とエゴと同一化していることを否認している場合でも、

 

 

とにかく、いつだって、

「ハイヤーセルフ(内なる神、内なるガイド)」と共に、内観します。

毎回、内観するときは、そのように、きちっと意図していく感じです。

最初のうちは「それができているのか、よくわからない」という、不快な感じになることは、よくあると思いますが、

「できている、できていない」というのはエゴのジャッジメントなので、そのことも認めつつ、問題視せず、

ただ、ハイヤーセルフに「今から内観するので、この心を一緒に見てください」と、伝える感じです。

これを繰り返していると、いつの間にか、慣れてくるというか、感覚がつかめてくるというか、そんな感じになっていくと思います。

 

 

「自分の力で内観しよう」としてると、

「エゴのメガネをかけたまま、心を見ているので、心も全部がエゴに見えて、終わりが見えない」という感じになたり、

問題視、深刻視、分析、自分責めな感じの反省会、ひとり取調室・・・を続けてしまったり、

・・・ということに陥りやすいです。

 

 

なので、ハイヤーセルフと共に見ることが大切です。

ハイヤーセルフと共に見ると、

自己問いかけの質問文が自然と浮かんだり、

同一化していたエゴに気づいたり、

不要な信念を心から手放したいと思えたり、

・・・ということが自然とできるようになっていたり、

ハイヤーセルフが内観を導いてくれてる感じになると思います。

 

 

エゴと共に内観すると、内観は非常に苦しい時間になることはよくあると思います。自分反省会になったり、いつの間にか相手を分析したりすることになってますますぐるぐる考えたり。

けれども、ハイヤーセルフと共に内観すると、ただただ優しく、すべての闇が光に照らされ、愛に戻されていく、優しい時間になる感じです。

 

 

内観をしていく、というのは、心の階段を降りていくようなものです。

 

 

「自分でなかったことにしていた思い」だったり、

「自分で認めていない思い」だったり、

「隠してきた思い」だったり、

「我慢してきた思い」だったり、

「人に対しても、自分に対しても、偽ってきたこと」だったり、

そういう思いを、心の中に押し込めたままにしていると、言い換えると、自分でそれに気づいていない・認められていないと、

この「不一致」がそのまま現象・物質・関係性にも現れて、

問題や、悩みや、どうしても叶えたい願い・なかなか叶わない願い、同じパターンを繰り返してしまう、ということにつながっていたりします。

 

 

なので、そういった、心の奥にあった思いを、

ただただ自分に素直に正直に、認めていく、感じていく、受け入れていく、味わっていくだけでいいのですが、

ハイヤーセルフと共に内観していくと、エゴと共に内観する隙がなくなる感じです。

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