すっごく嫌なことがあった、というわけではないのだけれど、なんだか「あれ?なんでだろう?」みたいなとき。
お友達とやりとりしてて、なんか、噛み合ってないような感じがしたり。
パートナーとの間で、同じような問題が繰り返されたり。
お店の対応に、なんか「??」という感じがしたり。
でも、スルーしようと思えばできるような感じ。
こういうときほど
「ここからなにを学べますか?」
「ここからどんなギフトを受け取れますか?」
「わたしにみえていないものはなんですか?」
「教えてください、受け取らせてください」
と、問いかけたい、祈りたい。
「まぁ、いっか」と言って、スルーしたり、押し込めたりせず、このようにきいてみること。
わたしの感覚で書くと、問いをなげかけて、待つ、という感じです。
必ず、答えは受け取れるので、信頼して静かにして楽しみに待つ、という感じです。
そして、その答えは、どこからどうくるかわからないので、心を360度に全開にして、待つ、という感じです。
大事なのは「自分の頭で考えないこと、自分の頭で答えを出そうとしないこと」。
「自分の頭で考える」「自分で答えを出そうとする」ということを、エゴは、やります。
さも「気づきのメッセージ」っぽいものを、答えとして浮かべてきます。
しかも、納得感があったりするので、それ止まりになってしまう・・・ということは、避けたいところです。
このようにして、エゴは、ほんとうの気づきを、覆い隠してしまいます。
ほんとうの気づきは、解放とセットです。
気づき。解放。
ぐるぐる巻きで縛られてたのが、パッと解ける感じ。
優しくて、愛に溢れた、メッセージ。
しかも、影響する範囲が広いというか。そんな感じです。
なので、気づきを受け取る、奇跡を受け取るって、「学ぶ姿勢」がある方が受け取りやすいのです。
自分の頭、集めた情報、努力などで、正解を用意しておいて、「こうですよね?」とやるのではなくて(これが悪いとかじゃなくて、これも防衛だったりします)
「なんだろう?教えてください」みたいな方が、受け取りやすいです。
こういうのを、日頃から、やっていきたいものです。
「些細なこと、このくらい我慢できる、スルーできる」「平気平気」と、押さえ込まないことって、本当に大事。
すべて繋がってるからです。