こんばんは。
こちらの記事を、書き直しました。
自分の中の、エゴ(分離、ジャッジ)、ネガティブとか、ブラックをみること、すごく、すごく、大切です。
これを、認めること。ただ、認めること。その上で、そのすべてを、すべての自分を、エゴを無条件に愛すること。
これ、すごくすごく、だいじです。
これを積み重ねていくことで「与えられてきた愛を受け取れるようになる」です。
この、自分を無条件で愛する、ということを、続ける、ということを、努力や忍耐と呼ぶのであれば、そうなるのかもしれません。
これが「大変受け入れ難い話に聞こえる」場合は、意外と結構、素晴らしい、祝福の節目に立っているのかもしれません。
「愛」に対して無意識的に抱いていた、漠然としたイメージが、すっかり変わる、ということも、あると思います、自然と変わっていく、ということもあると思います。
わたしは、昔「愛」とか「愛してる」というワードをテレビや雑誌で見かけると、腹が立ってました。あの頃は尖りに尖りまくってましたネ。くわばらくわばら。
自分の中の、エゴ(分離、ジャッジ)、ネガティブとか、ブラックをみること、すごく、すごく、大切です。
これを、認めること。ただ、認めること。
その上で、そのすべてを、すべての自分を、エゴを無条件に愛すること。
エゴをみないまま「どんな自分でもいいんですよね!自分が神様ですよね!わかるわかる!」とやっちゃうと、奇妙な方向に行く場合があります、特にスピリチュアルや引き寄せや真理などに詳しい方。これはいわゆる、目覚めの段階で、比較的よくあることかもしれないです。
よーく内観です。どんな自分も等しく、大切に、みていくことは、大事です。
具現化というところでお話をすると。
「陰陽表裏一体」を何度も思い出すと、とても助けになります。
なんていうのかな。
この「物理」「具現」「現実的に」というようなところでいうと、エゴでもなんでも、プラスとマイナスというのは、どちらも大切になってきます。
真逆のエネルギー同士って、ほんとうは大切だし、ここが手を結ぶと、とても大きなことになります。
爆発的な創造性を発揮するというか。誕生!って感じになったり、発展!って感じになったりします。
たとえば、身近な感じの例を出すと。
たとえば、わたしは、方向音痴です。
「ハイヤーセルフとの信頼関係が、誰かとの信頼関係です!」などと書いていますが、普通に、ナビを信用できません、愛車のナビの声、好きなんだけど、信用してません。
地図は迷うためにあると思います。
それで、そんなわたしが、同じ方向音痴の方と、旅に出るのも、楽しいものです。気が楽なところは大いにあります。
そこで、真逆の方、つまり、方向感覚優れているタイプ、というのでしょうか、こういう方が、旅のときに隣にいたら、未知の楽しみ方となるわけです。
そして、このタイプが、うちの母で、もう頭に方位磁石入ってる?鳩かな?ってくらいの方向感覚なのですよ。電話の道案内とかも、恐ろしいほど、スマート。
わたしは、対面で道聞かれたら、一緒に歩いて目的地まで行くタイプです(これはただ単にわたしが口頭での案内ができないからですが、いつも大変にありがたがられて、恐縮します)。
あ、あと、わたしは、当然、電話の道案内には対応しておりません。
このような感じで、方向感覚ある母(プラス)と方向音痴(マイナス)が一緒にいると、発展的というか、未知な感じ、わたしだけ、方向音痴同士では成り立たなかった「新しいなにか」になります。
めでたしめでたし。
と書きたいところですが、ここで「ringoは方向音痴でただの役立たずでは?」という「声」が「聞こえてきます」ので、一応書きますと、
母は、わたしのことが羨ましいと、昔、言っていました。
それで、わたしは、なにが羨ましいのか理解ができず、よく喧嘩していたのですが(こうやって書いてみると、自分のやんちゃ坊主ぷりが笑えてきます)
あるときから、最低でも頼まれたこと、求められたことは、すべてしたいと思うようになりました。
不思議なことに、そう思った頃から、「求められるように感じること」が、なくなっていったのです。
母はここ数年「リア充女子」みたいな感じで、ダイエットも順調な感じで、おしゃれも楽しみ、外出は増え、電話かけてもつながりにくいし、LINEはよく既読スルーされます。(他のお友達とのLINEはしているようです、わたしは嫌われているのでしょうか、なんちゃって)
・・・なんだか、ますます、わたしはただの役立たずでは?みたいな、オチになってしまいましたが(笑)
だから、本当に、心から、感謝なのかもしれない、とも、今、書きながら、思いました。
話それましたが、逆のエネルギーって、本当に、どちらも、大事なのです。
楽観さんも、悲観さんも、中立さんも。
誰にでも、どんな性質にも、光があるし、それはこの世での役割の中で、補い合っていくだけでなく、受け入れあった瞬間、手を結んだ瞬間、発展していくことになります。
そうだ、きっと母も、「方向感覚優れたもの同士では生まれなかった新しいなにか」を楽しんでくれていたはず、はず、はずです。。。