ふと、セッションでどんなときに喜びを感じるか?について、書いてみたくなったので、書いてみようと思います。
まず、真っ先に思い浮かぶのは・・
クライアントさんの・・「本心」、「本当の心」に、「触れた」とき。
これは、どのように書いたら、誤解なく、まっすぐに、表現することができるだろう、と、今、とても慎重になっているのですが・・
「本心」「本当の心」って、あまりにも美しいものなんです。
わたしが、最初から「本心はこうでしょ」みたいなエゴの決めつけをすることができる、
とかいう類のものではない、
なんというか、この世のものではない・・
あ、だから、こういうときのために、「高次元ほにゃらら」という言葉があるのか、と、今ふと思ったのですが。
これは、本当に美しい。
インナートラベルの醍醐味、といって、いいのではないでしょうか。
まさに絶景。
そして、わたしだけが見てるだけじゃ、意味がなくて、
その「本心」「本当の心」に、クライアントさんとわたしが、同時に触れる、奇跡というか、なんというのか。
表現の仕方とか、「その言葉に抱いている無意識的なイメージ」みたいなものは、誰にでもあるものだと思うので、みんながわたしと同じような表現で言い表すとは限らないのですが、それでも、言語などを超えたどこかで、同じものを認識している感じなのです。
そして、この、奇跡というのは、必ず延長されるので(それが法則なので)、
この「新しいステージ」みたいな体験は、セッション後でも、クライアントさんにも、わたしにも、広がっていくものです。
この「本心」というか「本当の心」というか、そのことについて、セッション中に、「みてください!これが、本心です!」みたいに、わざわざ言ったりしないことがほとんどですが・・(感動と満ち溢れる喜びで、そんなことすら忘れている)
これ以上、なんと、表現したらいいのかわからないです。
霊においての喜び、真の喜び、という感じともいえるのかもしれません。
他にも、喜びや楽しさや幸せなどを感じる瞬間は、たくさんありますが、真っ先に思い浮かんだのは、これでした。
そうして、自分の心と向き合っていくと、
「こんなことってあるんですね!」という奇跡の体験のご報告をいただいたり、
「すでにずっと与えられ続けていた愛、豊かさ、ギフトにやっと気づきました(拒否していたのはわたしのほうだったんですね)」という気づきのご報告と、その後の関係性やまわりの人々・出来事などの奇跡のご報告をいただいたり、
シンクロやギフトをたくさん受け取ったり、流れがすごくスムーズになったり、
水を得た魚みたいにスイスイ泳げる感じになったり、
そういった、物理的な面、具体的な面での体験も必ずあるのですが(なぜなら内側の奇跡は外側の奇跡として延長していくもの、そういうもの、という法則なので)
そうやって、喜びを分かち合えるのも、すごく幸せです。
パートナーとの関係性、出会い、結婚、妊娠、お仕事での活躍、経済的なこと、身体面、神秘体験・・
いろいろあるのですが、
そのすべてに、共通しているというか、ベースにあるなぁ、と感じるのは、親子関係で、
「親子関係が激変した」とか
「親への負の感情が、湧いてこなくなった(親に対して許せないと言ってたことは覚えてるけど、何をどう許せなかったのか全く思い出せない)」とか
「母親が人が変わったようだ」とか (※これは、あるあるで、本当に、相手が変わったように見えるのですが、実は自分の中が変わってます笑)
「先日、久しぶりに実家に帰って、数日母と過ごすことになったんだけど、信じられないほど穏やかで楽しく過ごせた。前からしたら、考えられないことです」と、
いう感じのご報告はよくいただくのですが、
これも、すごく、幸せです・・♡
わたしも、母との関係は、驚くほど変わりました。
前は「お母さんのこと、大好きだけど大嫌い」みたいな感じで、喧嘩することも多かったのですが、何度も、大きな変化を受け取りながら、今では本当に心から感謝で、心から大好き、という感じです。
母は、わたしが自分で許していないところ、自分が自分で非難しているところ否定しているところを、全部、綺麗に、見せていてくれていただけだったんだ、ということが、今ではすごくよくわかるのです。
幸せとか喜びとか豊かさって、
まず「自分」で(円の中心軸って感じのイメージ)
そこから、その円の直径、円の大きさが、どんどん大きくなっていくイメージでいくと、
安定感というか、どっしり感というか、持続性とか、そういうのがしっかりしてくる感じなのですが、
その自分から一番近いところにいるのが、両親・生まれ育った家族、そして、今の家族(結婚後の家族など)、です。
もし、今は「両親・生まれ育った家族」は地球の裏側に住んでるとか、この世にいない(他界した)、どこにいるかわらかない、という場合だったとしても、です。
時間も空間も超えていく、というのが、奇跡と癒しの性質みたいなものでもあるからです。