「本当のこというと、思い通りにしたい」

「だから、まず、大事なのは、内観・浄化、です。

ここでいう、内観と浄化、というのは、自分の心の中で思っている思いの数々を見つめていく中で、

判断(ジャッジメント)、決めつけ、思い込み、評価、比較、

支配したい、操作したい、拒絶したい・・・という思い(コントロール)

などを見つけて、手放していく(手放したいと思っていく)ということです。

その、手放して空っぽになったところには、もともとあった愛が溢れて、映し出される=奇跡、です。

たったこれだけです」

と、前の記事に書きました。

 

 

エゴの話をよく書きます。奇跡、という話をするならば、重要だからです。

ほんとうに、ほんとうに、大事なのです。

「ポジティブ信仰」や「自分の努力で頑張ってなんとかして目標達成する」ということであれば、話は別かもしれません。

もしそういったことを大切にされてらっしゃる場合は、エゴの話なんか聞いても、「波動が下がる」などと思うかもしれません。

しかし、ほんとうに、「波動を上げる」のだとするならば、「波動を下げているものを、見て、浄化する」ということは、不可欠なはずです。

「本気で体重を軽くしたい」という人が、食事内容や運動量などを振り返ったり、体重と体脂肪率をまず把握しようと思ったりすることと、似ているかもしれません。

「責めずに、咎めずに、裁かずに、分析せずに、問題視せずに、深刻視せずに、ただよく見る」ということが大事なのですが、

これはエゴにとっては不可能な話ですので、内観するときには必ずハイヤーセルフ(無条件の愛の象徴)と共にみます。

 

 

ハイヤーセルフと共に見る、というのは、言い換えると、自分の中にあったエゴ(ジャッジメントやコントロール、被害者意識などなど)を、無条件の愛のエネルギーがただ優しく見守ってくれている、という感じです。

これは、愛に包まれる時間です。

無条件の愛である聖なる存在に「本当はこう思ってるんです」「今、こんなふうに感じているんです」と打ち明けるのは、心がホッと休まる瞬間でもあるものです。

自分を裁くこともせず、アドバイスを次から次に押し付けることもせず、ただ、そのままを、「うんうん」と聴いてもらえる・・・。

無条件の愛のエネルギーの優しい光によって、すべての闇が照らされている、という感じです。

闇は光に照らされた瞬間、闇ではなくなります。

自分一人でぎゅっと握りしめて、抱え込んでいたものを、一つひとつ、光に照らしてもらいます。そうして、自分でなんとかしようとせずに、奇跡の采配をしてくれる存在に、あずけてしまうのです。

「あずけます」「差し出します」と意図するのです。それだけです。

私たちが、多少、わけわかってなくても、「何かが間違っているかもしれない」としても、無条件の愛の存在は完璧ですので、大丈夫です。

導いてくれるので、その導きを100%いつも信頼していること、自分の心を無条件の愛の存在のもとに置いておくことだけを、大切にしつづけていれば大丈夫です。

 

 

セッションやクラスでは「エゴ」という言葉を連発していますが、

エゴはエゴであって、本来の自己ではないのです。

なので、わたしがエゴの話をするときというのは「特定の誰か」「目の前のあなた」についてしゃべっているわけでもないし、「エゴというのはこういうもの」という感じでお話をしています。

 

 

苦しいとき、その原因は「わたしのエゴ、あなたのエゴ」ではなくて「エゴとの同一化の方」です。

たとえばですが「相手を思い通りにしたいという思いを持っているわたしはダメだ」とする必要はない、ということです。

「相手を思い通りにしたいという思いを持つわたし」というのは、厳密にいうと、「相手を思い通りにしたいというエゴ」に同一化しているだけ、という感じで、その形との同一化が苦しみの原因、ということです。

そして、たとえば、「状況を思い通りにしたいという欲求」を手放そうとしたとき、おそれが出てくる、抵抗が出てくる、痛みを伴う、ということはよくあることですが、そういうものですし、一生続くわけでもないし、その手放した先に、奇跡が待っててくれてたんですね、という経験をすることになります。

「なぜ、思い通りにしたいという欲求を手放す必要があるのか?」についてですが、

自分の思い通りにするなんて、究極のところ、不可能だからです。「思い通りになることもあれば、ならないこともある」というのは、思い通りにできている、ということとは言えません。

そして、思い通りにしたい、というのは、今思い通りになっていない、ということです。

思い通りにしたいという裏では「現状では不満足です。足りていません。欠けています」と思っているということで、そのようにして心の奥で「現状では不満足です。足りていません。欠けています」と叫び続けたところで、投影され続けるだけ、です。これは、シンプルにそうだ、ということです。

わたしも、このように思っていたことはありますが、このように思うというのは、自分の心にいつも苦しい思いをさせるということなのです。

現状や誰かをどうこうしようとして「不満足で、足りてない、欠けているもの」を満たそうとするのは、「外側に原因がある」といっていることと同じことです。

※外側に原因はありません

外側の原因ではなくて、内側の「不満足です。足りていません。欠けています」という部分の、足りていないと思い込んでいるもの、欠けていると思い込んでいるもの、を、受け入れる、ということが重要なのです。

これを、受け入れたとき、奇跡は受け取れます。

自分の思考というか心の在り方がひっくり返るとき、体験もひっくり返ります(奇跡)。

 

 

とはいえ、より、重要で、見過ごされがちなこととして、

「思い通りにしたいと思っていたことに気づく、そんな自分を咎めることなく認める」

これがまず大事です。

「思い通りにしたいと思ってるなんて、ダメだよ」「思い通りにしたいと思ってるなんて、人として劣ってる。スピリチュアルの学びが足りない。精神性が幼い」などということは

あり得ません。

というか、このように考えそうになること自体がエゴの罠にハマってるということを、たくさんの情報にアクセスできる今、忘れないようにしたいものです。

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