「時間がない」こそ製作者は自分だったということについて(1)

奇跡はすでに与えられていて、受け取り拒否をしていたのは自分、それに気づいていなかったのは自分、ということを、

最初は「どういうこと!?」となって当然です。

わたしもそうでした。あるときは「努力して、問題だらけの自分を改善修正したら、(わたしが)奇跡を起こせる」と思っていました。でも、厳密にいうと、そうじゃないんですよね。奇跡を起こすのは、わたしというよりも大いなる存在。わたしは心を開き、受け取るだけ。

 

 

けれども「奇跡はすでに与えられていて、受け取り拒否をしていたのは自分、それに気づいていなかったのは自分」ということを、わからないまま、とりあえず「なんかよくわからないけれども、そうらしいぞ」と受け入れることが、まず最初に大事なことです。

エゴでわかろうとしてもわかるわけがないのです。なので、エゴが混乱したり、抵抗したりするのは、ある意味、いいサインなのです。

けれども、本当は心の奥では・・・本来の自分は・・・それを覚えています。

 

 

それで、奇跡を受け取る前に必ず浄化(想念の浄化)が必須です。

浄化があり、奇跡を受け取る、というのが、もう順番、なのです。

この浄化というのは「一回やって、はい終わり〜」というようなもの、というイメージではなく、浄化に慣れていくというか、そちらの方が、大事です。

けれども、節目のときというか、過渡期のときというか、ステージが広がるときというのは「台風500号(小学生風に書いてみました。小学生の頃は、この台風の数字が大きければ大きいほど、ものすごい大嵐がくると思い込んでいました)」みたいな感じで、

大きな浄化、深い深いところにこびりついていたというか、大事に大事にしまい込んでいたの感情、信念、観念、価値観、記憶、の炙り出しがあります。

例えば、霊的な学びを受け入れる段階がきている方や、今世霊的な道に縁がある方・・・などは、かなりきつい感じ、激しい感じになることも多いです。

 

 

そして、この浄化のとき「外側は内側の反映である(鏡)」ということが、とても大きな気づきをもたらしてくれますし、この法則を受け入れることによって、はじめて、奇跡、現実創造というところで、根本的な信念の訂正ができるようになります。

 

 

なので、奇跡を受け取るとき、まず最初に思い出すのは「これは自分が作った(らしい。今はそう思えないけれども、そうらしいぞ)」ということです。

「これは自分が作った(らしい。今はそう思えないけれども、そうらしいぞ)」

これを、書くと、「責められてる感じがする」、他の言い方をすると、「罪悪感を感じる」、「わたしが悪いんだと落ち込む、後悔する、反省する、改善しなきゃと焦る」という方もいらっしゃいますが、

そういうことではないです。

そういうことではないので、なので、とりあえず「なんかよくわからないけれども、そうらしいぞ。否定的な意味ではないらしいぞ」と思うことが大切です。

この「なんかよくわからないけれども」が大切なんですよ〜!

すんなり受け取る場合というのは、この「なんかよくわからないけれども」という心の状態に自然となってる、という方、場合、も多いです。

「責められてる感じ、罪悪感を感じる、後悔する、自分を責めてしまう」というのは、「わたしはわかってる」状態なのです。「わたしはわかってます。わたしが悪いんですよね、わたしが悪いということを、わたしはわかっています!」

というとき、です。(このエゴのパターンは、わたしも含めてみんな共通です)

 

 

話を戻すと「なんかよくわかんないけど、これは自分が作った」と、思ってみる。

長くなったので、続きます・・・。

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