ない→ある→ない&ある
・・・これを、以前はよく「マイナスとプラスは表裏一体で、それを超越する。その手段として鏡の実践(裏→表→超越)」というような書き方をしてきました。
この感覚は、わたしが、どん底から「まさにひっくり返った」とき、つまり、「奇跡を体験した」ときの感覚でもあるからです。
そして、その後、たくさんのセッションで経験や、学びを深めていく中で、やはり、とても重要なことのように感じたからです。
※実は、よくよく振り返ると、その前にも「奇跡(もうどう考えたってありえないというか、大いなる存在を感じずにはいられない、しかも自分とまわりの人で同時に喜びを分かち合える体験)」を受け取っていたことはあったのですが、それはまた今度書きたいと思います。
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さて。この、裏→表→超越、について。
一番簡単な例えでいうと、「お金がない」と悩んでいるとしたとき、
その裏には「お金がほしい」というのが実はあって、
「これは表裏一体である」というのを、ただ、気づく、眺める、受け入れる・・・
としているうちに、あるとき、体験・感覚がくる、みたいな感じです。
エゴは、ただ、気づけば、良いのです。
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今日は、また別の話を書いてみたいと思います。
(裏)
例えば、問題なニュアンスを含んだ「思考停止」という言葉があります。
思考停止とは、自分で考えることをやめて、他人の意見や常識に頼ってしまう状態のことです。
ちなみに、洗脳されている状態というのは、思考停止状態です。
「洗脳」という言葉を使うとちょっとあれかもしれないですが。
当店(・・・当店?)では、ある時期を境に「誰かからの洗脳からの解放」ではなくて「自我からの洗脳の解放」について話しています。
周囲に「洗脳的な人がいる」とか、自分が「洗脳的な人を求めやすい」と言うことは、意外とよくあるかもしれないことです。
「この人が言ったことは全部正しい!」みたいな。
もっと身近な感じで言うと「だって、みんなやってるもん」という理由を動機にしやすい、というのもそうかもしれません。
この場合で重要なのは、「まずその傾向があることに気づくこと」です。
疑うことをしない、考えようとしない、「すぐにわからない」というような状態でも、あるかもしれません。
すぐにわからない、と言って、深く考えない。自分の感覚、考え、思考などと、向き合うことがない(できない)、という状態です。
(表)
(表)は、「わかる」「わかりたい」という状態です。
(裏)が思考停止なのであれば、(表)は思考フル回転状態というか。
この状態が強くなってくると、「通常モードが戦闘モード(サバイバーモード)」ということもあるでしょう。
「自分で考えようとする」ということもできますし、いい意味での「疑う」ということも、できる人はできますし、
自分と向き合う、というのは、「できる場合」と「できない場合」があるかもしれません。
さて、ここで問題(?)になってくるのは、「答えが出ないもの、出せないものに、出会ったとき」です。
「わからない」ものに出会ってしまったとき、なのです。
「わからない」というのは、とてつもなく不快なものに感じられることがあります。
「わかりたい」という欲求が強いこと、「わかることが楽しい」と思うこと、「把握してコントロールしたい」と思うことは、悪いことでもいいことでもなく、けれども「普通に言えば」「一般的には」「この世界では」良いことだとされることも多いかもしれません。
しかし「わからないもの」に出会ってしまったとき。
わかろうとすると、
ある場合は、病んでしまい、
ある場合は、(裏)の傾向が強くなったり(=洗脳的な人、情報を自ら求める)
ある場合は、「頑固ジジイ」みたいになったり、
ある場合は、「望んでいないのにジプシー」になったり、
するかもしれません。
(裏)(表)と書きましたが、両方ブレンドされているように思う場合もあるかもしれません。
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ここまでを考えてみると、
人の意見に耳を傾けることも、自分で考える力、わかろうとすること、理解しようとすること、そう思うことも、「大切」です。
けれども、これを、手放すとき=次のステージにいくとき、というのがあるのです。
それが「わからないものをわからないままにする能力を開花させるとき」なのです。
わからないものをわからないままにする。
「わからない」と言う状態を受け入れる。
「この個としての、人間としての自分でわかる範囲」と「それを超えた範囲」というものがあって、
自分の「わからない(裏)」と「わかりたい、わかる(表)」を受け入れたとき、
自分の中にある問いも、わかりたい・知りたいという思いも、否定しないまま、かき消したりしないまま、
でも「自分で答えを出そうとする」と言うことをやめて、
「自分よりも大きな存在」が、「誰にも話していない心の中の問いかけ」に対する答えを持っていることを知るとき。
その存在を”見る””体験する”ことになり、
それを奇跡と呼んでいます。
その存在は「誰にも話したことのない、わたしだけが知ってる、あるいは、自分でも気づいていない、自分が好きなもの、喜び、ある時期強くほしいと思っていたこと」を使って、体験をさせてくれるので、自分の中の、心の奥からの静かな確信があるのです。
「今まで頭の中がフル回転、エゴが大騒ぎだったのが、あるとき思考が暇になる(思考停止)」というのはよくあるようです。
暇になる、シーンとなる、つい先日まで焼け付くような感情(焦り、不安、執着等)の中にいたはずなのに、
あるとき、シーンと、平和になる、みたいな感じです。
このシーンとなったところに、奇跡、インスピレーションは、現れる、みたいな感じです。
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裏→表→超越
思考停止状態→思考フル回転状態→”思考停止”
今日は「思考停止」で書いてみました。