「なんでこんなことになってしまったんだろう・・・?」
「原因はなんだろう・・・?」
と、原因を探したくなる、ということがあります。
「わたしの何が悪かったんだろう?」「どんな悪い思考を持ってるんだろう?」的な。
普段「内観や鏡の実践をすることで、不要な信念に気づいて手放す」ということなどをお伝えしていますが、今回はそれとはまたちょっと違った話です。
何が違うか?というと「エゴと原因探し(犯人探し)」をする場合と、「ハイヤーセルフの光で心を照らしてもらう(闇を光に変える)」の場合の違い、みたいな感じです。
「なんでこんなことになってしまったんだろう・・・?」
「原因はなんだろう・・・?」
続いて・・・
「なんでうまくいかないんだろう・・・?」
「(うまくいかない原因をわかって、解決したい)どうすればうまくいくだろうか・・・?」
そして・・・
「うまくいかない原因は〇〇!だから〇〇を知ればよくなる!」
というキャッチコピーにつられて、でも、それが必ずしも、「心からのスッキリとした解決」とはならなかったり、「本当に心が満たされて安心している」という状態の”持続”にならなかったり、することもあります。
ここでは「内側に原因」と考えます。
なので、「原因は何なのか?」の答えは、もう出ているのです。
「内側」です。
他の言い方をすると「わたしはエゴと同一化することを選択し、そのエゴの見方を通してみていた、だからこうなった」「これをこのように見た、体験したのは、わたしである」などです。
第一関門は、このこと(↑)を、受け入れられない(受け入れることができない)、もっというと、受け入れたくない、というところです。
※ここが一番時間がかかるところなんじゃないかな、と思います。
「内側に原因」ということを大前提、最初に受け入れた上で、向き合っていっても、
本当に、本当に、そのことを、すぐに忘れてしまうので(エゴの働きによって)、
何度も何度も、思い出していく、という感じです。
そしたら、「何を投影していたか?」とか「不要な思考」などは、自然と見えてくる(言い方を変えるとハイヤーセルフが見せてくれる)ものです。
「お前は不幸者だ。その原因は外側にある。探しなさい」と勧めてくるのが、エゴです。
「なんでこんなことになってしまったんだろう?」と、問いかけて、分析して、「そういえば、幼少期の頃(※)」とか、「もうわからない、もしかしたら、過去世になにか問題があるかも知れない」と、ぐるぐるぐるぐるなってしまうのであれば、一旦、立ち止まってみるのも、いいかもしれません。エゴに唆されて、内側と向き合っているようでいて、外側に原因を探そうとし、自分や誰かを責めたり、悔やんだり、しているかもしれません。
※内観のときなどに「自然に、心の導きによって、小さい頃のことを思い出した(その後、解放が起きた)」というのとは、また別です。
「なんでうまくいかないんだろう?」という問いかけ自体が、「うまくいっていない前提」と決めつけてしまっています。
すると「うまくいっていない証拠」がたくさん思いついたり、見つかったり(見つかったように感じたり)することもあるかもしれません。
原因は内側にあります。
選択を変えるだけです。そのためには、誤った選択をしていたこと、選択する力は自分の中にあるということを、自分が受け入れている必要があります。
内側での「誤った選択」「間違った選択」というのは、罪でも、恥でも、ありません。ここは、軽やかになりたいところです。
そのためにも「ただ、ただ、気づく、見る、寄り添う・・・」です。
自分を(エゴを)、良い悪いとジャッジするでもなく、コントロールする、なんとかしようとするでもなく、
「ただ、気づく」です。