書き出しが逆効果となるかもしれない場合について

書き出しが逆効果となるかもしれない場合というか、

本人から見て「逆効果になってる気がする」とか「同じことをずっと書いている気がする」という場合について、今回は書いてみたいと思います。

これも「こうなってる人!」という話じゃなくて「こうなるときってあるよね〜」みたいな話です。

 

 

ふたつ、あります。

 

 

ひとつめ。

同じ人に対する、怒り、恨み、憎しみなどの感情、思考、言い分を、ずっと書き出ししている場合。「ずっと」というのも、具体的な数字があるわけではないのですが・・・。

怒り、憎しみ、恨みなどの感情を、一回、自由に正直に、紙に書き出してみて、

「書いてスッキリ」「冷静になれた」「整理整頓された」「ホッとした」とか

「書いているうちに、投影に気づいた」とか

「書いているうちに、自然と成仏した」とか

こんな感じで、自然に気づきがあったり、解放があったり、気にならなくなったりしているのであればOKです。

こんな感じで、多少時間はかかっても(時間をかける必要があるということもあります)、スムーズにいくという場合もたくさんある一方で、

「怒りなどの感情を、同じ人にずっと書き続けている」という場合もあります。

これは、慣れてくると「頻度」や「それにかかる時間」みたいなものは、少なく、短くなってくる印象がありますが、それでも、ごくたまに、「強い感情が出てくる」ということは、あるようです。でも、慣れてくると「飲み込まれてるけど、飲み込まれていない」みたいになるんじゃないかな、と思います。

(この場合に「自分が当てはまるかも?」という場合)

感情、特に、怒り、憎しみ、恨みなどは、人によって、その時々によって、様々なので、このような場合、どうしたらいいかというのは、ブログではなんとも言えない(その人にあったいろんな方法がある)というのが、正直なところなのです。

会ってみないとわからない、全員に当てはまること、今この記事で思い浮かぶことが、正直ないです。

激怒、憎悪、恨みなどの感情って、人によっては、強い恐れがともなっていて、「内側に原因どころではない」となってもおかしくないのです。これは、ずっと昔の話になりますが、わたしにはそういう時期がありました。

でも、そういう場合は、このブログも「責められてるように感じる」とか「わけわからなさすぎる」とか、あとは、反発心や不快感などを感じて、読めない、読みたくない、と思うと思うのです。そして、他のヒーリングやセラピー、メソッドなどに導かれる、ということもあるのではないかと思います。

それでも、ここで書けることとしては、ひとまずは、「おや?ずっと同じこと書き続けてるぞ?」と気づくだけでもOKかもしれません。

そして、「ふたつめ。」に書くことも、照らし合わせると、いいかもしれません。

 

 

ふたつめ。

「自分(エゴと同一化した自分)が作り上げた物語を延々と綴ってる場合」です。

自分が作り上げた物語、エゴの幻想ドラマ、自分の解釈・・・

こういった、エゴによるもの疑わず、

あるいは「エゴなんですよね」と言いつつも、

物語の脚本、セリフを綴るのをやめられない(やめることを望んでいない)感じ、

ずっと、その物語に、浸りきってしまって、リピート再生している状態のことです。

誰でも(わたしでも)、エゴの物語、幻想ドラマ、自分の解釈にハマり込んで、しばらくの間、リピート再生する、みたいなことはあります。

これ自体は、よくあること、ある意味ではふつうのこと、くらいです。

慣れてくると、その「エゴのドラマの重厚感、リアル感」みたいなものが、薄くなり、軽くなり、

「取り消し」が早くなり、軽やかになり、気づいている状態が安定してくる・・・みたいなイメージです。

(この場合に「自分が当てはまるかも?」という場合)

この場合は「自分が今この状態(エゴのドラマ、自分だけの解釈)を書き続けているという自覚を、ただ、持つこと」デス。

そして「信じる」とか「自分を愛する」というワードをよく使いますが、それはつまり「(他人じゃなくて自分の)エゴを疑う」ということと同じであります。自分じゃなくて他人のエゴに目ざとくなる、ということはよくあることかもしれませんが、それは投影です。

 

 

ほとんどの場合、特に、特別な知識や「やり方」みたいなものを知らなくても、

ただ、モヤモヤすること、悩み、思ってること、感じていることを、「ただ、書き出す」だけでも、最低でも、スッキリは、するものです。

最低でも、と、書きましたが、このスッキリというのは、とても大切なのです。

でも、「書き出し」をしていて、「ずっと同じことを書いていて、気づきもないし、モヤモヤも晴れない・・・」というような場合は、

大きく分けて、このふたつが考えられると思いました。

 

 

こうやって書いてみると「ひとつめ」も「ふたつめ」と同じで、

「映画の中にハマり込んでいて、その監督、脚本が自分ということを、認めることができない・認めたくない状態」

「自分の(エゴと同一化した自分の)価値観、判断、信念を、手放せない・手放したくない状態」

と、まとめられます。

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