「時間がない」こそ製作者は自分だったということについて(2)

前回の続きです。

「これは自分が作ったらしい」と思ってみても、例えば、天候だったり、世界の出来事だったり、身体のことだったり、団体・集団が関わっていることだったり、会社のことだあったり、時間だったりは、

やっぱり、どうしても、

これが自分が作ったとは思えない、どう考えても、外側から影響を受けている、どうしようもならないことだとしか思えない(いくらなんでも、これだけは例外よね)

と思うことがあります。そう思っても、何も悪いことも、おかしいことも、劣ったことでもない、むしろほとんどの人がそう思います。

けれども、ここでは、奇跡だったり、現実創造だったりの話を扱っています。

 

 

自分にとって「問題、悩み、ストレス」と感じられたり、そのように見えたり、あるいは、自分の心が動揺したり反応したりするときは、浄化のチャンス、内側に戻るチャンス、奇跡のチャンスですので、

一旦「これは自分が作った(らしいぞ)」ということを、最初に思い出します。

 

 

・・・。

 

 

それで、時間がない、忙しい、会社が急に忙しくなって、繁忙期で・・・ということは、よくある、よく聞く、わたしもそのように思うことはたくさんあったのですが、

それで、したいこと・すべきことができないとか、疲れてヘトヘトとか、ストレスになる、というときは、内側に戻るチャンスです。

 

 

心がすべてです。

心の中に、創造性の力があります。これは、すでに、あります。

この心の中に、あるものは、調和のとれた形で、自然とそうなります。

 

 

例えば、

「朝、早く起きて、朝日を浴びて、ストレッチをして、瞑想をして、読書をして、ゆったりと優雅な朝食タイムを・・・」というのが「したいこと」だったとしましょう。

けれども、会社が忙しすぎて、家に帰り着くのは夜も遅くて、家事も溜まりに溜まって、それどころじゃない、わたしがしたいことができないのは、仕方がないんだ、諦めるしかないんだ・・・というとき。

これは、よくみてみると「外側の何かによって、自分がしたいことができない」と、軸を外側に置いているときです。この軸が外側にあるときは、外側に「左右される」「影響される」「振り回される」ようになります。これはもう、自分を責める道具にするのではなくて、そういうものなんだ、と受け入れるだけです。

 

 

このとき、心の中の「本当の自分自身の源、創造性」と繋がっている場合、自分と周囲との調和がとれた形で、この心の中の創造性が、時間も、状況も、何もかもを整えて、引き寄せてくれる・・・みたいな感じ。

物質的、状況的、環境的、時間的なことは、具体的に意図しなくても、叶えられることが信じられていなかったとしても、この、心の中の「本当の自分自身の源、創造性」と繋がることで、整います。形になります。体験として受け取ります。

この心の中の創造性こそが、時間も空間も物質も天も地も全てを制御しているのです。

 

 

つまり、ひっくり返していうならば、

「会社が忙しすぎて、家に帰り着くのは夜も遅くて、家事も溜まりに溜まって、それどころじゃない、わたしがしたいことができないのは、仕方がないんだ、諦めるしかないんだ」というようなとき、

心の中の無限の創造性の源、ではなくて、

「他の何かを、心の中に飾っている」みたいなイメージなのです。

なので、この「他の何かを、心の中に飾っている」の「他の何か」を手放すというか、ゼロに戻すというか、そういう感じです。(これが浄化です)

そして、手放す、解放されることと、(心の中に飾っていた他の何か)に気づくことは、セットなのです。

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