「お金」についてのテーマ、リクエストをいただくことは、よくあります。
お金というのは、
(1)ときとして、とても切実な話になってくる、こともあれば
(2)それほど困っているわけではないけれども、将来のことを考えると不安、心配、だからお金がほしい・・・ということもあれば
(3)「別に困ってないけど、お金もほしいかな」というようなことも、あるようです
(1)〜(3)まで、共通していえるのは「お金がほしい」と思うことというのは、
そのまま、鏡に向かって手を伸ばしているようなもの、ということです。
つまり「鏡の方(世界の方)からも手を伸ばされる」ということです。
ここで、何が言いたいかというと「お金がほしいと思ってはならない」とか「お金がほしいと思うと、お金がほしいという状況を引き寄せるぞ(脅し)」ということではなくて、
「そういうものなんだ」と受け入れることがまず大事、ということです。このことを何度も思い出す感じです。
今でも覚えているのが、わたしが初めて(多分初めて?)奇跡を体験したとき、何をしていたかというと、大したことは何もしていなくて、ただ、この「何度も思い出す」ということをしていただけでした。わたしの中で、エゴの主張が叫ぶのを目を背けずにみながらながら、何度も法則を思い出していた感じです。
その上で。
お金のことを抜きにして、
自分が望んでいること、欲すること、したいこと、こうなったらいいなと思っていること、というのがあると思います。
まず、それをよく見てみます
その中で、自分をいじめている思いがないかどうかも、見れそうだったらみてみます。
なぜ、自分はそれを(その望んでいるものを)、空気を吸うようにして受け取れると、思えないのだろう?と問いかけてみます。
もちろん、今すぐそれが「目の前に物質化する」というようなことはなかったとしても、
自分はそれを受け取るに相応しい、と思えないのは、なぜなのだろう???
なぜそんなふうに、自分に対して、思えないのだろう???
自分が幸せに生きる、というのは、間違いなく、まわりも幸せに生きる、まわりの人たちとも、幸せ、喜びを共有する、ということです。
それを「ダメ」「無理」「でも・・・」と、迷ったり、疑ったり、心配したり、不安になったり、するのは、なぜなのでしょう?
疑いや心配や不安にエネルギーを注いでいると、そのようになるものです。
これも「脅し」で言っているのではなくて、自分の本当の心を置き去りにして、疑いや心配や不安に意識を向けることで、自分を苦しめていることに気づくことが大切です。
そんなふうに、自分を苦しめることをやめるのは、自分にしか、できないから、です。
自分がブレーキをかけている、あるいは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる状態から、魂のままに、本来の自分自身として生きたなら、
自分の思いというのは必ずうまくいくものだと思います。
浮かんできた思いを、大事にすること。
そんなふうにして、自分を大事にすること。
これも、自分を大切にする、自分を愛する、本来の自分の姿で生きる、ということです。
自分の思いって必ずうまくいく、幸せとして受け取れるものだと思います。
そんなふうに生きることが、本当の自分自身を輝かせながら生きる、ということなんだと、思いました。