「」のところに光に入っていただく

継続コースでは「目的の変更」が定番になってきました。

目的の変更・・これは、今、表面化している、さまざまな問題、悩み、執着にしてしまった願望などの、その根本に対して、

驚くほど、はやく、確実に、クリアに、美しく、働きかけてくれるようなのです。

 

 

それで、これをブログでもシェアをしたいと、何ヵ月も思っていたのですが、なかなか文章化がうまくできなくて、今日になりました。

 

 

今日は「例」を書きながら、「目的の変更」について、書いてみたいと思います。

(これは「特定の誰かの実話」を書いているのではなくて、例えばで書いています。)

 

 

継続コースにお申し込みくださった「会社員 Aさん(40代女性)」は、

・恋愛や婚活がうまくいかない

・お金についての不安がある

・転職しようかどうか迷っている

という「問題」がある、とのことで、「こうなったらいいな」という「願い」もあるのだけど、その願いがなかなか思うように叶わない、「こうした方がいい」ということはなんとなく「わかる」んだけど、行動に移せない感じがある、とのこと。

それでお話を聞くと、さまざまな具体的な心配事、恐れ、不安、気掛かりが出てきます。

わたしは、その「さまざまな具体的な心配事、恐れ、不安、気掛かり」を聞いていると、その途中で、空間に「目的」と浮かんでいるのがはっきりとみえます。

空間に「目的」という感覚が、でーんと居座って、動かない、という感じなのです。

 

 

そこで、Aさんに「仕事はなんのためにしているとか、なんというか、目的とかって、ありますか?」みたいな感じで聞くと、

Aさんは「お金のため、生活のためです」と、間髪入れずに、迷いなく、はっきりと、答えます。

 

 

Aさんは、迷いなく「お金のため、生活のため、将来のために、仕事してます」というのですが、

わたしは、その声の裏に「そうじゃない、本当はこっち」という「耳では聞こえない声」が、はっきりと、聞こえます。

つまり、わたしからすると「二重音声」みたいな、例えばですけど、そんな感じで、聞こえるのです。

そして、わたしは、この「そうじゃない、本当はこっち」という「声」の方から「話を聞きます」。

「話を聞きます」というのは、正直、時間を超えているので、「うんうん、と10分かけて話を聞いた」とかではありません。

これも、前回の記事の「USB」に近いものがありますが、実はわたしは恥ずかしながらこの期に及んでUSBが何だかいまいちわかっていません。

自営初めて10年、その前はパソコン教室の受付嬢を一瞬だけしていたことがあるので「USBがなんだかわかっていない」と言っても、信じてもらえないのですが、USBがいまいちよくわかっていません。

でも、まぁ、今回は、USBにしておこうと思います。

 

 

それで「会社に行ってるのは、お金のため。生活のため。将来のため」と「確信」しているAさんに、会社に行ったり、仕事をしたりしているときを思い出してみて、心が喜ぶときは、どんなときですか?と聞いてみます。

Aさんは「会社に行ったり、仕事をしたりしているときに、心が喜ぶときなんて、ありません。正直、この仕事、好きじゃないんです。向いてないと思います」と言います。

わたしは「なんでもいいんです。仕事の内容が向いていなくて苦痛なら、職場に行っていて心が喜ぶとき、とかで、十分なんです。例えばですけど、会社の休憩時間に喫煙所に行って、喫煙所の人たちと喋るのが密かな楽しみだと言ってる人もいましたよ。その人は、喫煙所では、普段出会わないような人と出会って、打ち解けることができて、それが嬉しいし、楽しい、と言っていました」と言います。

すると、Aさんは「ああ、会社の人と、おしゃべりするときは、楽しいです。苦手な人も、いますけど・・。でも、その喫煙所の人が言ってること、わかる気がします。会社に行かなかったら、関わらなかっただろう人と、関わったり・・」

 

 

こんなふうに、お話を聞いていると、「お金のため、生活のために、会社に行ってるんです」と言っていた声ではなくて、

「USB」の方の「音色」に、どんどん、近づいていきます。

「お金のため、生活のために、老後のために、会社に行ってるんです」という鉄のドアを、その細かい粒子ゆえにすり抜けるようにして、響いてくる、優しく、やわらかく、楽しげな、「音色」。

 

 

それで、Aさんから「こんなとき、心が喜んでいる」という場面をお聴きしながら、

「その、心が喜んでいるときに感じられている感覚を、言葉にしてみると、こんな感じですか?」

という「例」をいくつか挙げてみます。

これは、人によって、違うのですが。

この「例」をわたしが挙げるというのは、漫画とかでいうと「ラフ画」に近いのかもしれません。これまた、わたしは漫画もラフ画も、実はよくわかっていないのですが、多分、近い気がします。

この「ラフ画」をクライアントさんと共有して、クライアントさんのしっくり感を探っていくのです。

 

 

わたしは、この、クライアントさんと、しっくり感、フィット感を探っていく感じが、とっても、大好きなのです。

 

 

一発で「そうそう!それですそれです!」となることもあれば、「うーん」となることもある。

「うーん」となるときは、クライアントさんの「うーん」が、そのまま、助けてくれたりする。

逆に、わたしが「うーん」となっている間に、クライアントさんが急に「あ!!」となって、「なんか全然関係ないかもしれないですけど、今ふと思い出したことがあるんですけど」と言って、その「確かに全然関係ない話」を聞くと、それがそのまま、「直接的な答え」だったりすることがある。

この辺りの流れは、コントロールできる範囲を完全に超えている。

 

 

そうこうしているうちに、実は、Aさんの場合は、

お金を稼ぐためじゃなくて「あなたの光とわたしの光がひとつであることを讃えあい、喜びを分かち合うため」に会社に行っていたことが判明したりする。

これは、「ringoがそういった」とかじゃなくて、ringoが、Aさんの「音色に耳を傾けながら」、「ラフ画を描き、それをお見せして」、二人でラフ画を見ながら、しっくり感を探っていく。

Aさんがしっくりするとき、わたしもしっくりしている、この、喜ばしい、ピッタリ感。

 

 

Aさんは、本当は「あなたの光とわたしの光がひとつであることを讃えあい、喜びを分かち合うため」に、会社に行っていたのに、

「会社に行くのは、お金のため。生活のため。将来のため。老後のため。二千万問題のため」と、自分で自分に言い聞かせて、それが無意識の恐れや罪悪感と繋がっていたのかもしれないし、

大きく広がっているスピリットが「お金のためなんかじゃない、本当はこっち」と叫んでいたのかもしれない。

 

 

〇〇をしたり、〇〇をしなかったり、するのは、「お金のため。生活のため。将来のため。老後のため。二千万問題のため」となると、喜びたい魂がやる気をなくす、というイメージが浮かぶ。

これで「燃える」という場合で、しかも、問題や悩みや叶わない願いがある場合は、自分が自分を騙している可能性がある。

 

 

確かに、人生には「お金のため」というような時期があることは珍しいことではないし、それはそれで尊いもの。

けれども、その時期は通り過ぎていたなら、それは、心にとって、重荷になったり、足枷になったり、呪縛になったり、することがある。

 

 

「お金のための、この肉体が安心安全に生きていくための」仕事、恋愛、お金。

「お金のための、この肉体が安心安全に生きていくために」〇〇をしたり、〇〇をしなかったり、する。

この「」のところ。目的のところが、わたしたちが生きたいところ、心が喜ぶところに、連れて行ってくれて、その喜びを、みんなと分かち合いたいと、言っている・・

 

 

この「」のところがひっくり返るとき、というのが、変容のとき。

変容の後は、光の定着・光の持続・光の保持拡大延長を、見続ける。

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