この、新しいほうのブログをはじめたある時期、
「スピリチュアルな話はいいから、お金や恋愛の体験談の話を載せてほしい。直接的に、お金や恋愛がうまくいく方法を書いてほしい」
というお声をたくさんいただいたことがありました。
わたしは、まぁ、でもたしかに、そうだよな、と思いつつ、直接的な、お金や恋愛がうまくいく方法を、掲載しました。
それは、
これです。
とにかくまず、向き合うのは、自分の中、自分の声、本音、という感じです。
それがわからない、という場合は、鏡です。
まわりの人、出来事、状況、肉体(健康)、お金・・・など、外側の出来事を見て、
自分がどう感じているか?自分はその外側に対してなにを見ているか?というところを、見つめていきます。
おそらく、このこと自体は、様々なところで、言われているのではないかと思います。
お金でも恋愛でも(あるいはニュースにとても同調して心がとても動揺してしまう、というようなときでも)
心の内側を見ます。
それに対して、なにを思っているか?なにを感じているか?は、自分にしか、わかりません。
ここに、耳を澄ませていくのが、自分と向き合うということです。
「お金、経済状況」という出来事に、なにかを映し見ているのは自分です。
自分の内側に答えがあります。
あと、人生のある時期においては、「自分の本音がわからなくなる」というようなこともあると思います。
自分の本音に、正解も、不正解も、ありません。
欲求に、正しいも、誤りも、優劣も、あるわけがありません。
やりたいことがわからない、自分の本音がわからない、自分がなにを感じているのかわからない。
これは、立派な、自分の本音、です。
それを、ただ、認めて、愛して、尊重する。それがエゴだからこそ、敬意を払うのです。
その先には、見たこともない、けれども、自分の魂が輝くためのステージが広がっています。
過去にはないこと、エゴにとって予測不可能なことなので、「わからない」し「こわい」のです。
それは、たとえば、本当に幸せな結婚生活かもしれない。
芯から平安を、家族みんなが感じる、家庭かもしれない。
それに伴って、家族や自分の仕事や活動が、さらに豊かになったり、その延長線上で引越しをすることかもしれない。
人に頼ることを無意識的に悪いことだとジャッジしていた人が、結婚することによって、多くの人の助けを借りることになることかもしれない。
仕事で大抜擢されて、夢のまた夢だと思い込んでいたことが実現することかもしれない。
このようなとき、こわくなったり、急に自信がなくなったり、漠然としたなんともいえない不安が広がることがあります。
これは、なにがこわいのか?なにがどのように自信がないのか?なにがどんなふうに漠然と不安なのか?
このようなとき、こわくなったり、急に自信がなくなったり、漠然としたなんともいえない不安が広がることがあります。
いったい、なにを、そんなに、こわがっているのか?自信がないのか?漠然と不安なのか?
もちろん、リストアップしてみてもいいと思うのですが(このときは、エゴを見ている、おそれやネガティブを見つけるため、という意識を保つことも大事です)
そのほとんどは、愛をおそれています。ミラクルをおそれています。過去が深く癒され、その深く癒された体験を受け取ることをおそれています。
傷だらけだったはずの過去が浄化されて、愛の記憶、あるいは、純粋な記憶だけ、になることを、おそれています。
純粋な記憶を捧げて、愛の道具として使われていくことを、おそれています。
※なので、浄化されるものがある場合は、浄化がはじまります。
わたしが尊敬するスピリチュアル教師(アバンダンスレベル)の方は、揃って、この「不確実性」「不確定性」というものを、とても大切にしています。
それは「状況的にわからない」ということを指すこともあるでしょうし、「自分の本音がわからない」ということもあるでしょう。
わからない、という、正直で、真っ直ぐな、ピュアで、無垢な本音のときだから、自力じゃなくて、自力を超えたところにあるパワー(宇宙の采配)と出会ってくときなのだと思います。