「お金を使うことについての罪悪感」

まず、自分が、心底ゆるされて(ゆるされて、というか、もともと心の中に罪などなかったし、罪悪感なんて持っている必要は1ミリもなかったということを自分の心が受け入れること)

自分が本当に幸せになって、喜びで溢れて、重荷が全部なくなって楽になって、のびのびできる必要がある。

これが、何よりも、大事なことです。

そのために、鏡の法則がある、ということです。

だから「あの人のこんなところが嫌い。自分にもこんなところがある。自分の性格を治すように気をつけなくっちゃ」とかじゃないです。これでは「エゴと共に行う恐怖の鏡の実践」になってしまいます。

 

 

ここで「罪悪感」というと、よくあるご相談が「お金を使うときに罪悪感を感じる」というものです。

例えば、スピリチュアルや引き寄せの法則で「お金を出すと、入ってくる」とか「出すのが先で、入ってくるのがあと」みたいなワークや考え方があって、

これをやってみたことがある人は「確かに!」となる方も、多い。

これで、めでたし、めでたし、となるなら、それでいい。

けれども、そうならない場合。

いや、そうなってるかもしれないけど、やっぱり怖いとか、罪悪感を感じるとか、そんな非現実的になりすぎるのはよくないとか、「だって、知り合いにこういう人がいて、どうのこうので・・」とか、そういうことも、よくある。

本物のスピリチュアルを、本当の意味で実践して、真に理解できていたならば、

現実とのバランスや調和は、自然ととれてくるもの、です。なので、そうなっていないなら、何か誤解がある、ということ。

 

 

それで「けれども、そうならない場合」について。

お金を使うことの罪悪感や、

お金をもらうことの罪悪感(配偶者やパートナーや両親や祖父母などがお金をくれるという場合)

というものがあって、これはわたし自身も経験したことです。

ここで、大事にしていることは、「自分の心の中の罪悪感」です。

まず、ここだけに注意を向けたいので、「人からなんと言われるか?どう思われるか?どう見られるか?」ということは脇におきます。

そして「自分の心の中のこの罪悪感とは、自分が自らしがみついているものである」という、このことに気づくことができた瞬間、本当の意味で、手放すことができます。

 

 

しかし、理論上はそうであったとしても、なかなか、難しいと感じることも、あるかもしれません。

ここで、わたしの体験談を書いてみようと思います。

これは、書くことを迷ったというか、なぜか書くのが怖い、と思っていたことで、そう思っていたことすら忘れていた、記憶の彼方にあったのですが・・(エゴの防衛だったのかもしれない笑)

最近、セッションやグループレッスンで話す機会が続いて、思い出したので、書いてみようと思います。

 

 

わたしの場合は、「浪費家であるわたし」に罪悪感を感じ続ける、という時期があったのですが、

あるとき、ふと、「神様は無条件の愛。その無条件の愛によって、すべてを癒す」ということを、「浪費」ということについてだけ、例外扱いしていたことに気づいたのです。

「浪費だけは、自分の力でなんとかしなければならない」

「お金を私利私欲のために、しかも、こんな無駄な使い方をするなんて、絶対に、神様は助けてくれない」

と「自分ひとりだけの問題」にしていたことに、あるとき、ふと、気づきたいのです。

それで祈ったのです。

何か、買い物をしよう、お金を使おうとする前に、心から祈ったのです。

「神様。わたしはもう、お金を使うことを、罪悪感を感じる機会として、もう受け取りたくありません。お金を使うことを理由にして、自分を責め続けたくありません。このことを、わたしは今、神様に捧げます。もう、自分ひとりでなんとかしようとしません。神様。このことを通して、わたしが神様に無条件に愛され、すでにゆるされた存在であるということを、教えてください。わたしは、罪を犯すことなどできない、無罪の神の子であるということを、思い出させてください」

と、とにかく、思いついたことを、そのままに、祈ったのです。

これを、続けたのです。

すると・・。

「金額が大きな買い物」のたびに、まさに、その直後くらいに、それ以上の臨時収入がある、ということが、連続して続いたことがありました。

しかも、必ず、しかも、「浪費家のわたし」ということで「金額が大きな買い物」というのは、まぁまぁの頻度で経験していました。

このとき、わたしは「神様は無条件の愛によって、欲しいものを、どんどん与えてくださることによって、そうして、やがて、幼子の気が済む。おもちゃを無理やり取り上げるのではなく、おもちゃで遊びたいだけ遊ばせて、そうして、満足させるうちに、幼子は自ら、気が済んで、おもちゃを片付ける・・」ということのことを、真っ先に、思い出しました。

リアルに、正直に書くと、わたしは、このとき、この「神の力、神の無条件の愛」のようなものが、こわくなってしまって(笑)

逃げ出して、その後また、内観、鏡しながら癒されていく・・という、感じだったので、お金ネタはたくさんあるのですが。

まぁ、でも、このおかげで、「神様の無条件の愛」を恐れていた、拒絶していたのは、自分の方だったんだ、ということも、まさに、痛感しました。

 

 

そうそう。

これを書きながら思い出したのですが、わたしは以前、ブログで、「お金が得意」と書いてたことがあって、

それは「お金のお悩み系、問題系が得意(自分やクライアントさんのミラクル体験談がたくさんある)」という意味で書いていて、

なんでかっていうと、わたしが「お金が一番、苦手、ダメダメ中のダメダメ、めちゃくちゃお金に投影してた経験があるから」ですよ(笑)

これは、読んでくださってるみんなもわかるだろう、みたいな感じで、ジョーク半分で、書いてたのですが・・一度ちゃんと書いた方がいいかも、と思い、書きます。

わたし自身が、ものすごくたくさんお金についての「浄化ネタ」を持ってたので、奇跡もたくさん受け取った、ということで、たくさん内観してきたし、エゴの動きもすごく見てきた。

これは、裏を返せばダメダメ中のダメダメで、

自分が、何度も「地獄山」に突っ込んで、奇跡によって蘇った経験があるので・・

そんな感じで、一筋縄では行かなかったおかげで・・

でもそのおかげで、大体の道は知ってるし、何度も蘇ったので確信がある、この確信から、さらにクライアントさんの体験談も集まり、さらに確信が深まった、

いろんな「お金に関するエゴの策略、心の中の動き」を見てきた・・みたいな感じです。

とっくの昔に、自分はもう何もわかっていないことを認め、つまり、自分一人では何も決めない、なんとかしないことを誓い、

今ではもう、お財布、通帳、何もかも、「神様のものでしかない」という感じで、自分は「ただ神様が命ずる通りにお金を運ぶ、お使いの人」みたいな感覚で、これが日に日に深まってる、という感じです。

お金は「自分が使ってる」と思うから、罪悪感を感じるものなんだな、ということも、今ならすごくよく感じられます。

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